一昨年の安倍総理パプアニューギニア訪問が決まったその日、私は友人の勲章授賞式参加のためパプアニューギニアにいた。パプアニューギニア政府、米国政府の要人から直接そのニュースを聞いたのだ。
その時、私の鞄には、パプアニューギニア建国の父ソマレ閣下の自伝『Sana』が入っており、付箋だらけになっていた。
安倍総理のパプアニューギニア訪問を一番喜んでいるのは、少年のソマレ閣下に独立心を教えた日本人柴田中尉ではなかろうか?とその時思った。
パプアニューギニアの独立を支援したのは、しかも戦争中から支援したのは我国「日本」なのである。
下記、以前書いた内容をコピーする。ソマレ閣下の自伝から要約。
「1970年12月、PNG北部のウェワックに慰霊に訪ねた笹川良一名誉会長が当時独立運動の志士で危険人物と見られたいた青年マイケル・ソマレ氏と出会う。そのすぐ後に2枚の東京行き航空券がソマレ氏の元に届いた。
独立前の豪州の委任統治下のPNGである。政治的危険人物をビザも持たずに日本に渡航させたのだ。
ソマレ氏は書いている。当時豪州はPNGと世界を結ぶ事を避けていた。PNGの人々に世界で何が行われているか知らせたくなかったし、世界の人々に豪州がPNGに何をしているのか現状を知られたくなかったからだ、と。
そして1972年、PNGの独立をかけた選挙が行われる。ソマレ氏率いる政党は大きな後ろ盾もなく弱い。ソマレ氏が米国ドイツ初め世界中に助けを求めたが、支援を表明したのは笹川良一名誉会長だけであったそうだ。何を支援したのか?選挙運動用のジープとバスを日本から送った。選挙活動、足がなければどうにもならない。結果,1975年の独立に繋がる総選挙でソマレ氏は大勝したのである。」
この地域の独立を導いた日本は、もっとメラネシアを支援すべきなのではないか?
これはまだ当方の想像だが、パプアニューギニア独立(75年)に続いて、ソロモン諸島(78年)、バヌアツが独立(80年)しており、独立の動きがパプアニューギニアを起点として近隣のメラネシア諸国に伝播したのではないか。
即ち、日本は、柴田中尉は、結果的にパプアニューギニアだけでなくメラネシア諸国の独立を支援した事になるのではないか?
もしそうであれば、日本はメラネシア諸国に特別な支援政策検討すべきではないだろうか?
メラネシア諸国の特徴として
1.パプアニューギニアが約900言語、ソロモンは約70、バヌアツは約100言語と多文化社会である。
2.太平洋島嶼国の90%以上の人口はメラネシア諸国が占める。
3.メラネシアスピアヘッドグループを早くから創設しサブリジョナルの動きが活発である。
4.豪州の影響が強い。
5.政情が不安である。
etc.
まずはメラネシア研究会を豪州(自分たちのテリトリーだと思っています)といっしょに、立ち上げる事を提案したい。
その際、海洋の問題に焦点を絞っても良いと思う。主権や文化の多様性の問題と海洋問題は繋がっている。