第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
新渡戸稲造がこんな文章を読んだら怒り狂ってお墓から出てくるであろう。
櫻田淳さんが憲法の天皇象徴は新渡戸が言っていると繰り返すので、余計なお世話か、と思いつつ、彼の影響力を考慮すると黙っておけないと思い、口を挟む事にした!
前回のブログで書いたがまず「象徴」と言ったのはBoutmyで、新渡戸は「武士道」にその箇所を引用したのみである。しかもBoutmyは英国王室を「author and symbol 」即ち「創造者にして象徴」と言っており、新渡戸は日本の皇室もこれに等しい。イヤこの2倍も3倍もそうである。と述べている。
もし日本国憲法が新渡戸を参考にしているのであれば「創造者」はどこに行ったの?の問いたい。
新渡戸の『武士道』は、新渡戸の生徒であった矢内原忠雄の和訳を参照したい。
上記の件は『武士道』の「第二章武士道の淵源」に書かれている。
仏教が武士道に寄与している事をあげ、「仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。」として神道と日本の関係を説く。
そして「天皇」とは何かをブートミーを引用して説くのだが、新渡戸の天皇論は下記の部分である。
「我々にとりて天皇は、『法律国家』[Rechtsstaat]の警察の長ではなく、『文化国家』[Kulturstaat]の保護者でもなく、地上に於いて肉身を有ち給う天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備し給うのである」
下記に長くなるが武士道から引用しておく。
新渡戸稲造シンパとしては、第一条こそ変えるべき内容である、と主張したい。せめて「創造者」を入れろ。
「神道の自然崇拝は国土をば我々の奥深きたましひに親しきものをたらしめ、その祖先崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖と為した。我々に取りて国土は、金鉱を採掘したり穀物を収穫したりする土地以外の意味を有する ー それは神々、即ち我々の祖先の霊の神聖なる棲所である。又我々にとりて天皇は、『法律国家』[Rechtsstaat]の警察の長ではなく、『文化国家』[Kulturstaat]の保護者でもなく、地上に於いて肉身を有ち給う天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備し給うのである。ブルートミー氏が英国の王室について「それは権威の像たるのみではなく、国民的統一の創造者であり象徴である、」と言ひしことが真であるとすれば、(而して私はその真なることを信ずるものであるが)、この事は日本の皇室に就いては二倍にも三倍にも強調せらるべき事柄である。」(「武士道」新渡戸稲造全集第一巻 2001年 36−37頁より。下線は当方)