やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

紀州日置村の南洋開発 ー 『南洋群島昔話 其の一』昭和19年5月

このブログで情報発信をしているおかげで、情報がどんどん集まる。

北太平洋にお住まいのNH氏からいただいた貴重な資料を拝読した。

 

 

『南洋群島昔話 其の一』昭和19年5月、財団法人南洋経済研究所

https://drive.google.com/file/d/1e1an-NKe4PNZvbjqI3vtKB1epVf4Hz9u/view?usp=sharing

 

これは、外務省大洋州課の方は必読だと思います。

私は日本と太平諸島の馴れ初めを、矢内原忠雄の『南洋群島の研究』で始めて知った。

下記のブログに書いた。

 

矢内原忠雄著『南洋群島の研究』を読む(1)

yashinominews.hatenablog.com

 

しかし、なぜ天佑丸が頓挫したのか、詳細は書かれていなかったので気になっていたが、そんな背景を知ることはできないであろう、と思っていた。ところがNH氏からいただいた資料を見ると詳細が、しかも手に汗握るような当時の出来事が書かれているのだ。

 

士族から預かった授産金を当時の東京府知事の判断で「南島商会」に出資。これに怒った士族は出航を中止させようとまでした。しかし、南島商会の発起人の一人田口卯吉氏は強硬突破で、南島への航海を成功させた。天佑丸は難産だったのである。(同書1ー4頁)

 

そしてこの天佑丸に乗り込んでいた紀州日置村の人々が「日置会社」を設立。後の南洋貿易会社tなる。日置ー「ひき」と読むようだ。「畳の上で死ぬのは男の恥」という気風があるこの村の人々の南洋探検談が、これまた手に汗を。地図が正確でなく、期せずにニューギニア辿り着いた時は現地人に食べられたりもしたそうである(!)

最後に、創設者の日置の方達は一銭も貰わずに自分たちの役割は終わった、と南洋貿易会社を去ったのだそうだが、なんかかっこ良すぎる!(同書25ー29頁)

 

日置の海人は、きっと神武東征の末裔であろう。日本式植民のノウハウは2千年経っても受け継がれていたのかもしれない。