矢内原忠雄全集第3巻に『南洋群島の研究』が入っている。 この中の第7章第4節が委任統治、である。(全集1963年、398-406頁)
1940年に出版された矢内原忠雄の『南洋群島の研究』英文
連盟規約第22条、委任統治の説明と、満州事変勃発に続く日本国内の「海の生命線」という南洋の国防意識が高潮。世界から日本に疑惑の目が向けられる事になった。イヤハート事件にもつながる。
この節で矢内原は1933年に実施した現地調査を基盤に、世界から軍事基地化疑惑が向けられている日本の南洋統治における南洋航路や港工事、飛行場建設の現状を報告し、日本に何の落ち度もなく、軍事化疑惑は単なる濡れ衣である事を説明している。 この矢内原の現地調査は、太平洋問題調査会の日本部会が1932年5月に矢内原に依嘱したものである。(同書、序文、3頁)
1932年だと新渡戸が同調査会にいたのではないか?矢内原がこの調査会の反日的な動きを知らなかったとは思えない。よってこの報告書の記述が日本擁護ではないと否定しきれない面はある。
しかし、1934年に現地調査を実施した米国人クライド教授も日本の軍事基地化の動きはないと報告しているし、馬鹿に馬鹿というタイプの矢内原がウソの報告を書くとは思えない。(401頁)
日本委任統治地域の軍事基地化の動きは誰がその噂を広めたのであろう?蝋山、ゾルゲ、尾崎では?? この本が出版されたのが1935年。英訳が出版されたのが1940年。 1940年 ー 1937年のイヤハート事件で日米関係悪化が決定的になり、もう後に戻れない時期だ。遅いよ矢内原先生!学者は情報戦争やる気なし! (一言矢内原を擁護すれば1937年矢内原は東大を終わた年であった。) 米国人クライド教授の本は1935年に出版されている。