やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

笹川太平洋島嶼国基金設立の経緯と不敵の26歳!

自分の書いた文章を数十年後に読み返すのは恥ずかしいものだ。同時にその文章を書いた時の自分の思考や周囲の動きも思い出す。

 

1991年4月に私が笹川平和財団に入った時、既に前任者は辞めていて、座礁していた基金をゼロから、ある意味マイナスから立て直す、というチャレンジグな業務が待っていたのだ。

今思うと、26才の小娘によくも任せてくれたものだ、と思う。

今でもはっきり覚えているのは基金の設立目的は?と理事長だったかその方の当時のポジションは忘れたが、お伺いしたところ「それもおまえが考えるんだよ。」と言われた事で、その時はショックだった。

ショックのすぐ後にこんなゴールデンチャンスない!と思い直したのも覚えている。

不敵の26歳!

 

学生の頃から神戸の園田学園女子大学の機関誌に記事を書いたりしていたので太平洋島嶼国の一般的知識は持っていた。短期間で書けたと思う。それが下記の文章だ。

 

太平洋島嶼国基金の立て直しがどんどん進む中で「それもおまえが考えるんだよ。」と言った人は「お前が泣かないから皆が虐めるんだ。泣いてみろ!」と言われたのも思い出した!

不敵の26歳は嬉々として基金の危機を踏破したので今度は妬み僻の嵐だったのだ。

 

設立の経緯

広大な太平洋に散在する1万を越える島々。海や険しい山に隔てられた各地域には多様な伝統が今なお強く残っています。

多くの人々は太平洋島嶼国に楽園のイメージを抱いています。緩やかな時間の流れのなかにあるエメラルド色の海、珊瑚の白い砂浜、風に揺れる椰子の木、そして温和な島の人々は、常に効率性を要求される先進国の人々から見れば“楽園”そのものといえます。しかし、そこに住む人々にとって自然は時にきびしく、また外界からの影響や避けることのできない自らの近代化は、伝統的社会システムや自然環境にさまざまな弊害を生じさせています。同時に国際社会の中で生きて行くためには各島嶼国のその距離的隔絶性やスケールの小さいことなど地理的、経済的ギャップがあり、国や人々の生活の発展を妨げています。

長年の植民地支配から独立を果たしながらも援助に依存している島嶼国は、今自立への道を模索しています。日本からの援助や経済投資は年々増加の傾向にありますが、過去に於いては、それを行なう日本人の島嶼国の伝統や社会システムに対する理解が充分とはいえず、また一般的に情報が相互に不足しているのが現実です。太平洋島嶼国はアジアと同様、日本の隣人であり、歴史的にも文化的にも深いつながりがある地域です。

1988年に笹川平和財団はこういった状況を踏まえ東京に各島嶼国首脳と日本の各界関係者を招き「太平洋島嶼国会議」を開催しました。この会議の成果として、出席者からの要請に応え、「笹川島嶼国基金」が設立されました。(1999年4月1日付で「笹川太平洋島嶼国基金」に名称変更)

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