星新一氏が新渡戸稲造を取り上げた『明治の人物誌』も軽くメモしておきたい。
この本には星新一氏の父親である星一と縁のある下記の10名が取り上げられれいる。
中村正直
野口英世
岩下清周
伊藤博文
新渡戸稲造
エジソン
後藤猛太郎
花井卓蔵
後藤新平
杉山茂丸
この中の伊藤博文、新渡戸稲造、後藤新平、杉山茂丸を読んだ。
星一氏、すごい人間関係だ。そして初めて知ったのは後藤新渡戸の台湾植民を通して阿片をモルヒネにして製薬会社をやっていたのだ。これが大成功し、当時貧窮していたドイツの医学界を助けた。ナチスの前である。
しかし、後藤が政権を奪われた時、後藤を資金的に支援していた(と思われていた?)星製薬会社も追い込まれることになった。
後藤新平、というと「ああ、阿片で稼いだやつ」と植民学の専門家までに言われてえ?と思っていたが、ここら辺が噂の背景なのかもしれない。
星新一氏は、後藤新平が亡くなった後借金しかなく、家を処分してその返済に充てたことが書かれている。その気になれば財産を作ることも可能であったのに、と。
読売新聞も後藤が家をかたに借金して正力松太郎に資金を提供したのである。
最初、伊藤博文、新渡戸稲造、後藤新平の三人だけ読もうと思ったが、星と杉山茂丸の出会い、そして杉山茂丸と頭山満の件が気になって、杉山茂丸の章も読んでみた。ちょっとまとめきれなほどすごいのだ。一箇所映像になって印象に残った文がある。後藤新平を満鉄総裁にしたのも杉山茂丸が児玉を動かした結果、だったらしく後藤が杉山の背中を嫌という程殴りつけて「このやろう。あれこれ画策しやがって、おれを植民地まわりの親方にしてしまう気か。」
一体これがどこからの引用か書いていないので気になるが、「植民地まわりの親方」というのが今、植民学者が後藤を「阿片の親分」と決めつけているところと重なる。後藤は100年後にそういう評価があることを予想していたのかもしれない。
杉山茂丸も頭山満も北九州の出身である。あそこら辺は歴史的に海外との交流も盛んで優秀な人が多いのだそうだ。