やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ゾルゲ・尾崎・ハウスホーファーの南進論

日本の南進論が、ゾルゲ・尾崎・ハウスホーファーの影響を受けていたのであればどのような南進論がこの3者によって展開されたのか?

マレイ族、オーストロネシア語族の話は出てくるのであろうか?

しかも南進論は多分新渡戸や矢内原が議論した植民政策、すなわち平和的手段による経済開発(先住民の福祉伝統を尊重した)ではなく、矢内原が批判して東大を追われたような「武力」南進論に変わっていったようだ。

どのように変わったのか?

ウェッブ検索していて偶然見つけた論文「海軍南進論とインドネシア問題(上・下)」(後藤乾一著、アジア研究、 31(2), p1-38, 1984-07、31 巻 (1984-1985) 3 号 p. 33-69)にはゾルゲのゾの字も、尾崎のおの字も、ハウスホーファーのハの字も出てこない。

しかし何箇所が興味深い記述があった。

まず、海軍の南進論は矢野暢が松岡静雄(柳田の兄弟)の議論が原点のように位置付けているが、それは松岡にとって迷惑な話で、松岡の南進論はオランダと事を構え、軍事的進出を提言したものではない、と書いている。(同論文 上 4−5ページ)

オランダ領インドネシアのオランダ政府が、当時近海で操業していた日本の漁船500隻、4千人の漁師が海軍のスパイ的存在であったと報告書を作成していた。ここは、ハワイの日本人漁民の状況と似ているのではないか?(同論文、上、19ページ)

日本人は欧米植民地の至る所で差別され、疑われていたのである。(日清、日露、第一次世界大戦に参加した元兵士が、戦争が終わって漁師に戻ったり、職がなくて漁師なったりしていた)

これも日本側に反欧米の感情を持たせる理由であったかもしれない。そしてそれは太平洋の植民地を失ったドイツの利益を共通する感情だったのかも。

同論文(下)45ページに近衛、松岡の「大東亜共栄圏」が突然出て来る。ハウスホーファーゾルゲ、尾崎がこれに関係しているかもしれない。

シュパング博士の「カール・ハウスホーファーと日本の地政学」(ウェッブにある)に近衛、松岡とハウスホーファーとの接触の可能性の他に菊池武夫陸軍中将、遠藤喜一海軍中将、国会議員窪井義道、亀井貫一郎教授のハウスホーファーとの接触を書いている。ハウスホーファーから地政学者として高く評価されたゾルゲはシュパング博士の論文には出て来ない。しかしこれらハウスホーファーに会った日本人とゾルゲ・尾崎は何がしかの接触があったのではないか?

ゾルゲ、尾崎は一体どんな南進論を日本で展開したのであろうか?