アメリカの政治ジャーナルから記事執筆を依頼された。今年の島サミット関連で書いてくれ、と。
あっという間に書いて編集者の送ったら、今ホワイトハウスで関連の議論をしているグループにも回覧したい、と返事が来た。
えっ! 社交辞令かもしれないが、ちょっと焦った。
焦りますよね、、普通。
それで確信が持てない箇所を急遽調べる事とした。
戦後、日本の水産庁と海上保安庁作ったのはGHQ、米国である、と書いたのだ。
米国の調査団が水産庁なんか生温い、水産省にしろ、と言っていたことは確認してある。
ウェッブ検索していたら、「水産庁50年史」という本の中に「水産庁設置の経緯」という項目があることがわかった。しかし、この本は同志社大学にも京都内の図書館にもなく、一番近いのが大阪の関西大学である事がわかった。
行って来ました。関西大学。
「水産庁設置の経緯」も興味深かったが他の箇所も重要だ。特に自分の博論にも関係して来そうな項目がたくさんある。そこでダメ元で出版元の大日本水産会に連絡したら、まだコピーがあるので謹呈してくださる、という。
今日届きました。
この場を借りて、御礼申し上げます。
水産庁設立背景は複雑だ。
戦後、占領軍の方針で漁業行政が改革されたことは事実で、その流れの中で水産庁が設置された。戦前から水産省設置の要望はあった。しかし戦後にすぐに新しい省を作る困難と、漁船を管轄する運輸省、漁網綱を管轄する商工省から反対があった。
特に漁船をめぐって運輸省との確執があったようだ。
昭和12年の日中戦争をきっかけに漁船行政が運輸省に一元化。戦後漁船造船の必要性から昭和25年漁船法が制定されまた農林省に戻った、という事である。
参考:原田和典「漁船行政 漁船法の成立から構造改革まで」KANRiN 日本船舶海洋工学会誌第63号(平成27年]1月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kanrin/63/0/63_KJ00010136585/_pdf
これで、国交省(旧運輸省)出身の羽生次郎笹川平和財団前会長が、水産庁取締船パラオ派遣に烈火のごとく怒った理由がわかったような気がした。
運輸省と水産庁、漁船をめぐる利権争いの歴史があったのだ。