やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

世界最強の水産研・取締船を作ったのは占領軍

 水産庁を作ったのは米国、GHQである事を確認したく探し当てた「水産庁50年史」

水産庁自体は戦前から独立した組織を、という強い要望があったので、GHQが押し付けたようではないが、占領軍が推進する漁業改革の一環としての設立であった事が確認できた。

 

「水産庁50年史」を読み進める中で新たな発見したのが、占領軍が日本政府に強要したのが水産調査機関と取締船の準備である事だ。

日米関係が悪化した重要な原因が、日本の漁業であった事はこのブログでも書いてきた。特に瀬戸内海や紀州の漁師さんたちが世界中の海をあっという間に開拓し、それが脅威となったのだ。

言われのない批判があったのであろう。しかし当時米国側は、日本の漁業を敵視。法も秩序も守らない、水産資源管理ができない日本、という理解であった。

 

なので、占領軍は、まずは水産研究所を作れと。そして日本漁船が違法操業をしないように取締をせよと。そうしないと漁場拡大は許さん、と通達したのだ。

ここら辺のやり取りは日本の漁場を拡大させたくないソ連や韓国からの圧力を米国がどのように対処したか、興味深い動きである。

 

当時日本は食料不足で、日に十人近くが餓死していた状態。

食料を手に入れられるのは海である。水産関係者は占領軍の言うままに漁業改革をしたのである。

南氷洋捕鯨は、皇族が母船を訪問したり、捕鯨関係者は昭和天皇に謁見している。

生き延びるために日本全体が必死だったのだ。

 

そしてこの占領軍の要請が、今に続く国立研究開発法人水産研究・教育機構とこのブログで散々取り上げている水産庁の取締船である。こんな仕組みは世界を見渡しても日本にしかない!

 

 

今、世界の水産業界を牽引する日本の水産行政は、まさに占領軍米国のご指導を文字通り進めた結果、とも言えよう。今度米国の政治家にそう説明しよう。