やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

読書メモ「国際連盟委任統治問題一件」

等松春夫博士の『日本帝国と委任統治』に引用されていた「国際連盟委任統治問題一件・独逸ノ植民地回復要求関係 第二巻」がウェッブで読めるのである。 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04122007000、国際連盟委任統治問題一件/独逸ノ植民地回復要求関係 第二巻(B-9-6-0-1_4_002)(外務省外交史料館)」 アクセスしてざーっと見たら、マインカンフとハウスホーファーと南洋委任統治問題と、立作太郎と。興味深かったのでプリントして読んでみた。
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1940年9月9日の外交記録、 三国同盟の直前だ。 ハウスホーファーが「生命圏の始祖」と書いてある。 日本は、ドイツと同盟することによって南洋委任統治を守ろうとした、のではないか。 立作太郎先生の委任統治の法解釈がここで重要だ。 ベルサイユ条約119条をめぐる、主権と領土権の違いの解釈。委任は連盟ではなく主たる同盟及び連合国が決定した事が再度書かれている。即ちウィルソンの非併合主義と、帝国主義の植民地政策の妥協の産物である委任統治の法的解釈。 日本は、ドイツが万が一植民を要求した場合はこの解釈で対応しようとした。 等松先生の本によれば、戦争が始まってそれどころではなくなったようだが。
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日本の委任統治地域の主権を支持していた、国際連盟を脱退し、連盟が機能しなくなり、ベルサイユ条約も破棄(ここは未確認)され、日本の南洋委任統治は主権の存在も危うくなり、「無主地」として先占すべし、それは豪州、ニュージーランド委任統治、即ち北部ニューギニアサモアも同じである事が当時の日本政府が認識している。 これがニューギニアに出てく理由の一つ、即ち立作太郎博士の国際法解釈が武断的南進の理由だったのではないか?と思ったりした。 等松春夫博士の『日本帝国と委任統治』、ざっとしか読んでいない。熟読すべき研究だ。(って今頃。深く反省。)