やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

南洋群島を日本は独から譲渡?『日本帝国と委任統治』

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この等松春夫博士の本は何度かこのブログでも紹介したのだが、しっかりは読んでいなかった。庄司潤一郎氏の南洋群島に関する論文にこの本が引用されていたので再度読んだ。南洋群島をめぐるドイツとの交渉、詳細は記憶していなかった。改めて読んで良かったと思った。

日本は戦争直前にドイツから南洋群島を譲渡したのである。しかしこの動きはかなり大きな括弧付きである。日本政府が交渉したのはオット駐日ドイツ大使とスマーター特使で、この二人は本国に報告することなく「恣意的」に南洋群島を日本に譲渡。ドイツ外相にも報告されていないし、公文書は日本にしか残されていない。そしてドイツ政府は三国同盟を額面通りに理解し南洋群島はドイツが領有権を有し、将来日独交渉の材料になると思っていた、と書かれている。(2011年版同書165ページ)これは海軍の暴走、なのだろうか?

たとえ、ドイツ政府がこの「譲渡」を認識していたとしても、この交渉内容は、旧独領が連盟の消滅と共にドイツ領に戻ってしまうことを日本が承認したことになる。この後、日本外務省は旧独領、すなわち南洋群島は無主地になったので領有権を宣言すればよい、と言う立作太郎博士の意見に沿った動きをするが、戦争が始まってうやむやになっていく。

もう一点、私が矢内原と蠟山の南洋群島に関する議論を知ったのはこの本だったはずで、両名の議論を読む機会があった。等松博士は矢内原が理想主義で、蠟山が現実主義と書いているのは違う、と思う。この二人の論争は日本の植民政策がねじ曲がった重要な内容だと想像している。すなわちドイツの地政学の影響を受けた蠟山が「海の生命線」と言った帝国主義的植民地支配論を展開することになった議論だと思う。蠟山は近衛文麿のブレーンでありその影響力は大きかったはずだ。逆に国際主義すなわちアダム・スミスの植民論の影響の強い自由経済、貿易を重視した植民論を新渡戸の後継者として展開してきた矢内原は近衛政権下で東大を追われるのだ。

ここら辺は関連の資料をもっと読み込まないとはっきり言えないが、後藤・新渡戸が作ってきた日本の植民政策が大きく、悪い方向に変わってしまった重要な論争だと、考えている。

等松博士の論文の最後の文章が矢内原の言葉の引用であったことを今回初めて知った。しかし私は等松博士は矢内原の植民論を読んでいない、と思う。批判しているのではない。矢内原の植民政策を知っていれば理想主義とは言い切れないはず、なのだ。

 

「委任統治地域の運命は法解釈でなく、国際社会の権力政治の関係によって決定される。」