やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

研究者?実務者?

Facebookの世界はまさに「不思議の国のアリス

一昨日「笹川に関わったジャーナリストが仰向けになって海に浮いていた。誰にも言ってはいけませんよ。」

というメッセージを見ず知らずの人からいただいた。なぜ仰向けなのだろう?と不思議に思いながら、その方をブロックしました。

しかし、圧倒的にまともな人が多いのだ。最近は自衛隊の方が良くイイネをくださり、情報提供、アドバイもくださる。その中で

「早川さんのような研究者の意見は重要です。」

と言われ「研究者?」と疑問に思い返事を書こうと思ったが同じような「誤解」をされている方もいると思うのでここに書いておくこととした。

私は「研究者」ではない。「実務者」である。

研究は実務のためにしている。よってほとんど論文、特に学術論文は書いていない。

今まで、渡辺昭夫教授や笹川陽平会長名で政府に出して来た政策提言書や、基金ガイドラインを書き、この1年は各種ジャーナルに太平洋島嶼国の海洋安全保障とインド太平洋の話を積極的に書かせていただいた。

じゃあどんな「実務」をしているの?

具体的には、2008年のミクロネシア海上保安事業の立ち上げを一人で行った。

何をしたか? ほんの一部を書く。

この事業の最大の敵、国交省から財団に天下っていた羽生次郎氏を動かす事だった。だって指示がなければ動けない。

笹川会長の「太平洋の海洋問題を支援しよう」という提言を「海上保安」に絞ったのは羽生氏である。海保利権を考えて、だ。

そこに、日米同盟を「樋口レポート」を意識し「最初はミクロネシアで」と提案したのは当方である。

提案だけでなく、その基盤は過去十年以上に渡って現場で築いて来たし、3カ国の大統領を動かし、さらに当時の米国国務次官補クリストファー・ヒルに財団が米国のお膝元、ミクロネシア地域の安保に関与することを了解する手紙を書かせたのも当方である。

さらに書くと、現在関係が強化された日豪防衛、海洋協力を促進させたのも当方である。

当初、羽生氏は、秋山昌廣氏のアドバイスを受けて豪州には仁義を切らないで良いという方針であった。豪州をよく知る渡辺昭夫先生(当時笹川太平洋島嶼基金運営委員長)と私が豪州を外したらアカンというアドバイスを無視したのだ。

ところがいざ事業が開始すると豪州が財団の関与に関し強いリザベーションを示した。

これを国交省と海保が「予約」と訳して報告書に書いている事に驚いき、まずい、と思った。英語が理解できないのが味方にいるという事だ。馬鹿な味方は強い敵より恐ろしい。

それを見た米国が「今まで太平洋の海洋安全保障(具体的にはPPBP)に貢献して来た豪州がウンと言わなければ米国も協力できない。」と言い出した。

ミクロネシア地域の海洋安全保障である!米豪の協力、理解を得ずに進められるはずがない。

「羽生さん、だから言ったじゃないの!」

と心で思ったが、羽生会長(当時)が先に「早川さんキャンベラに至急行ってほしい」と指示があった。さすが東大出の官僚!ここで事業潰せないよね。

しかし、このブログで何度も書いているが「行って来い」だけで、誰にあって何を話すか、全て任されるのだ。

こういう時、学術研究は役に立つ。その頃私は修士3つ(教育、国際政治、情報通信)、博士1つ目(開発学)を書いていた。これに現場の広い知識と経験。

豪州関係者は私の広い知識と見解と哲学に魅了されて(書いてて恥ずかしいけど、じゃあなんで皆んながコロっと支援に回ったの?私の美貌のせい?)一気に豪州を味方につける事ができた。そして海洋安全保障研究会を立ち上げたのだ。これも私の提案である。

ミクロネシアをめぐる日米豪の海洋安全保障協力体制。

2008年に始めたのは笹川平和財団、イヤ、私です。