山縣有朋が、京都東山に疎水を引き込んだ日本庭園を持つ別荘「無鄰菴」を作ったのは1894−1896年。今、植彌加藤造園が管理している。
夕暮れの「無鄰菴」で蛍を見る会があり、植彌加藤造園の方(女性)と話す機会があった。 私が京都にいるのは同志社大学で海洋法を勉強しているからです、と話すと「海洋法?」と興味を持ちつつも想像できないようであった。
そこで、蛍を見ながら、手付かずの自然ではない、手を入れた自然がここにもある、と考えたいたので、その事を話してみた。
私「海洋問題の一つに手付かずの海洋環境が、しかも広大な海洋を手付かずのままにするのが良いと考える海洋保護区があるのですが、人間が手を入れる事で逆に持続できる海洋、特に沿岸があるのです。里海、と言います。日本庭園もそうではないですか?」
加藤造園さん「日本庭園はまさに職人が手を入れて数百年と持続するのです。例えば枝を切らないと根も伸びて、地面の石を壊し、自然を壊してしまうこともある。奈良に千年以上続いている庭もあるのです。今その修復をしています。」
私「千年!そういえばポニョの鞆の浦は神武、いやもっと前の縄文時代から数千年持続している沿岸でしょうね。しっかり人間の手が入っている。」 ど
こもかしこも日本庭園ばかりの京都。加藤造園の職人は芸能人並のスケジュール管理、なのだそうである。
持続可能な開発。 国連で叫ぶ小島嶼国はいったいどれほどの経験、知識、伝統を持っているだろうか?彼らは島の資源を使い尽くして、また次の島を植民していった歴史もある。他方で、島と島のネットワークを持続し、資源を維持していった習慣もある。 今、小島嶼国が叫ぶ「持続可能な開発」は沿岸から隣接する海域をどんどん囲い込み、権利だけを主張する開発ではないか?