やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

矢内原忠雄の植民政策

日本の植民政策学の始祖、そして植民実務者であった新渡戸稲造の弟子が矢内原忠雄で、私は彼の全集の植民を扱う1−5巻だけもっている。中古で一冊500円位で買えた。

委任統治の議論もあり、今書いている博論でも議論したい箇所だ。

しかし矢内原の植民政策論文では前のブログに書いた「帝国主義下の台湾」と「満州問題」の方が有名なのであろう。この2つの論文あたりから矢内原の立場が悪くなり、1937年、矢内原事件と呼ばれる東大から追い出される事になるのであろう。

この2論文は1938年、昭和13年2月に「当局の内意により自発的休版」となったのである。しかし両書は中国語、ロシア語に訳され日本人以外に広く読まれたに違いない。

「帝国主義下の台湾」は昭和3年「国家学会雑誌」と「経済学論集」に掲載された。昭和3年と言えば1928年、新渡戸がジュネーブから戻った1926年の翌々年。

 

1927年初頭の2人の会話・・・

「矢内原君、台湾がどうも騒がしい。見て来てくれないか?民族主義運動に共産主義者は潜入し、危険な動きがあるようだ。」

「新渡戸先生、私も気になっていました。帝国主義研究として格好のテーマでもありますので現地に言ってなるべく多くの意見を聞いて来ます。」

「うん、なるべく島民の、弱者の声を聞くように心がけてくれたまえ。」

 

以上、私の創作です。後藤・新渡戸・矢内原ファンになると会話まで聞こえて来るのです。

 

保守のばか!と叫んでないで、少し日本の植民政策とはなんであったかたメモだけして行きたい。私がやり取りしている保守は一応一ツ橋とか慶応とか、早稲田とか有名大学卒業されているようだから、無駄な努力ではない、と思う。

何よりも自分の勉強になるのだ。本当は英文で試論を書きたい。日本の植民政策は左翼学者にしか研究されていないようで心配なのだ。すごいイデオロギー一色なんです。「新渡戸を糾弾する事を目的にこの論文を書く」とか。。。