やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「矢内原忠雄と日本帝国主義研究」飯田鼎1982

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矢内原先生(1893-1961)とチャタムハウスを創設したライオネル・カーティス(1872-1955)。矢内原は英連邦制度を高く評価していた。


チャタムハウスの急な襲来に対応しつつ、コモンウェルスとは何か少し勉強し、そこに「帝国主義」「帝国主義」と出て来るが誰も定義していないのが気にかかった。(私が見過ごしているだけでしているかもしれない)アレ?帝国主義って矢内原が書いていたな、と手元の全集をみたらかなり書いている。というか「帝国主義研究」こそ矢内原の植民政策論なのかもしれない。

きっと誰かが矢内原の「帝国主義研究」を研究しているはず、と思いウェブサーチして出て来たのが飯田鼎著「矢内原忠雄と日本帝国主義研究」1982。ウェブで読めます。三田学会雑誌Vol.74 No.2 p.153-169に掲載。

唸ってしまっています。嘘が書かれているのです。多分著者の飯田鼎氏はマルクス主義者ではないでしょうか?

1つ目が、矢内原は自分の植民政策論をキリスト教に関連付けて議論されることを嫌っていました。なぜなら矢内原の植民論はあくまで科学的なのです。その基盤としてアダムスミスはキリスト教を嫌っている傾向するあります。彼の「神の手」とはキリストの事ではありません。さらに、矢内原はマルクス主義を研究していましたが受け入れていない、と言うのが私の認識ですが、ここはもっとじっくり読まないと確証を持てません。少なくとも師匠の新渡戸は共産主義が日本を滅ぼすとまで言っていたのを矢内原が知らないはずがありません。

第二に、ここが目が点、になった箇所ですが、「帝国主義下の台湾」の民族運動に関して記述がありますが、ここは私が読んだばかりで記憶も鮮明。飯田鼎氏は明らかに嘘をかいているのです!論文168頁。矢内原の論文には

連温卿指導の下「陰謀的行動を以て文化協会幹部の地位を乗っ取り」無産階級運動、即ち共産主義の陣地としたのである、

とはっきり否定的に書いてあるのに飯田氏はここ部分を書かず、マルクス主義を肯定するような書き方に読めます。

 

戦後の学会が左に傾いていたのであれば、日本の植民政策理論を築いた、後藤、新渡戸、矢内原(他にも高岡熊雄とかたくさんいますが)は曲解して議論され伝えられているのではないでだろうか?実は昨年後藤・新渡戸を訪ねた東北地方の旅で新渡戸博物館にはこれっぽっちも新渡戸の植民推進者としての姿がないことが気になりました。

 

 

ウィキから

飯田 鼎(いいだ かなえ、1924年9月24日 - 2011年5月)は日本の経済学者。

1958年イギリス労働組合の生成により慶應義塾賞を受賞。慶應義塾労働組合三田支部委員長、慶應義塾労働組合委員長などを歴任。1966年10月教授に昇任。「マルクス主義における革命と改良 第一インターナショナルに於ける階級・体制及び民族の問題」で慶大経済学博士

ンンン!これは生粋のマルクス主義者か?