矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」は以前一度開いたが難しかったので先行研究を探した。FBFから若林正丈氏の『矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読』を紹介いただき、読み始めたが「この人矢内原の植民政策がわかっていない!」と怒りが湧いて来て閉じてしまった。
最近韓国との問題で、保守の方達が日本は植民をしていない。あれは植民ではない、とかわけのわからない事を言い出して、みなさん、「植民」とは何か勉強したことあるんですか?と聞いてもなにも応えずいい加減な自論を振り回すだけで呆れている。
再度、「帝国主義下の台湾」を手に取った。やはり矢内原は植民を否定していないし、児玉、後藤も、新渡戸の植民政策も批判していない。
批判しているとすれば三井の独占と、民族主義の擡頭に政府が柔軟な反応を示さない事だ。
三菱等も入っているが当時は断然三井があらゆるビジネスを独占。その結果島民と内地人の格差が発生した。ここは少しショックだった.私は、血盟団事件の団琢磨さんの家族、即ち天皇陛下の御学友の西尾珪子氏と太平洋島嶼国の仕事をする機会があり「團家の闇」のようなものを垣間みた経験があるからだ。なぜあの時団琢磨氏が狙われたか。三井の独占経営もその一つだったのではないか?
興味深いのがその緊張に火を付けたのが板垣退助の民権運動で、同化を主張し、島民も同化を要求。台湾政府はこれに応え同化政策に舵を切った。明石総統の時期である。
ところが日本留学組の台湾人から今度は民族主義が主張され、さらに共産主義者がこの民族主義運動に潜入し政治的緊張が生まれていることを詳細に書いている。
繰り返すが植民地政策を進める矢内原は後藤を批判などしていない。それよりも植民を生物学に例えた後藤であれば、状況の変化に応じた政策を提案するであろう、と言っている。
日本の帝国主義がイデオロギー優先で、独占資本主義と帝国主義を議論したレーニンの理論とは違う事も書かれている。そして最後に「帝国主義の発展は即ち帝国主義的矛盾の発展たるが故に」と結んでいる。
矢内原の帝国主義研究もまだ読んでいない。
「帝国主義下の台湾」は当時台湾持ち込み禁止であったが3種の中国語とロシア語に訳されて広く読まれていたのだ。