やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

矢内原忠雄の帝国主義研究(4)全集1巻

大英帝国の残影、チャタムハウスの襲撃を受け、急遽コモンウェルスの本を読み「帝国主義」って何?とその定義、議論を知らない事を認識し(知らない事の認識って重要なんですよ)矢内原の帝国主義研究をこの2週間追ってきた。じっくり読むとまではいかないが少しだけ踏み込んで読めたので、どこかの左翼教授が「帝国主義」と軽々しく口にしたら「その定義や議論をお聞かせ下さい」と質問し「勿論ご存知だ思いますが矢内原先生の議論はウンタラ・・」と返すことの出来るレベルにはなったと思う。

 

さて矢内原全集第5巻から遡って読んで来た。最後は第1巻の「植民地政策の新基調」の最後に納められている「第一回英帝国労働会議」。1925年にロンドンで開催された同会議の報告書をもとにまとめた論文である。

帝国主義が資本家による植民地闘争・先住民に対する差別搾取と民族運動・自国労働者に対する搾取からの大きな転換点になるものとして、矢内原先生は注目されているようだ。矢内原先生は論文解題に「資本家的植民政策が国際間には闘争、原住民には反抗、国内民衆には冷淡を喚起するに至りし今日」と書いている。

しかし討議内容は結局「検討する」に留まり改善の兆候はなかったようだが、問題が浮き彫りにされ「大英帝国」の生き残る道に大きな暗示となったのではないか?

まさに新渡戸の下記の議論に通じる動きである。

「日本は、世界に対して、”尊王主義”は”民主主義”と矛盾しはしないこと、それはプロレタリア問題を処理する力がなくはないこと。国王は社会正義達成のための”天”の器となることができることを証明する公道に就いているのである。」(『日本ーその問題と発展の諸局面』243頁,新渡戸稲造全集第18巻、2001年、教文館)

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さらにロバートクーパーの大日本帝国成立は、帝国主義崩壊の端緒になったとも言えるのである。この問題は、今なお20世紀歴史研究の大きなテーマとなっている。」という疑問も思い出された。

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さらにこの答えを書いていたのがカール・シュミットだった。これも思い出した。大英帝国が民衆の女王になった、と「大地のノモス」か「陸と海と」だったか。。

 

さてこの労働会議に参加したのが各植民地の労働党。イギリス、アイルランド、豪州、カナダ、南ア連邦、インド、英領ギニア、パレスチナ、そして国際労働組合連合と労働者及び社会主義者インターナショナル、である。これらの組織放っておけば台湾、韓国のように共産主義者が陰謀を持って支配する事になるのだ。しかし各植民地の労働党が要求したのはブロック化、特に移民の制限でまさに日本の満州拡大の導火線になったかもしれない。ここは単なる想像。それにしても大英帝国生き残り作戦はすごい!

日本はなぜそれができなかったのか?1925年。新渡戸はジュネーブだ。後藤は・・「赤い男爵」とも揶揄されロシアとの関係改善に動いていた。

 

このイギリスの労働党に歩み寄る、帝国主義の動きは国際連盟に、IPRに影響があったのではないだろうか?イギリスと労働運動の研究も山のようにありそうだが、今回はここで一旦終了。

 

例えばこんな本がある。書評だけでも読んでみようか。

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