やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

東京帝国大学植民政策講義(2)英国植民政策

矢内原全集をどのようにまとめようか植民政策研究の全5巻目次を眺めていたら見つけたのが英国植民政策に関する小論である。

後藤新平も台湾植民に関して当時の英国が香港で行っていた科学的植民政策を参考にしていた。日本がアジア太平洋の植民地解放と叫びながら戦争に進んだ地域は、英連邦メンバー国として今ある。英連邦である事を自ら望み、エリザベス女王を君主に迎える事を自ら望んでいる。チャールズ皇太子を、ハリー王子をこれらの旧植民地は大歓迎して迎えているのである。

きちんと読んでからと思ったが簡単にメモだけしておきたい。

第四巻の植民政策研究にある「論文(上)」には8本の英国植民地政策関連論文が入っている。矢内原先生の長文は難解でいつの間にか字面を追っている事が多いのだが、この小論はそれほど苦なく読めるのでありがたい。

 

英国対支政策の経済的根拠 (1930年 『東亜』第3巻第9号)

植民地国民運動と英帝国の将来(1930年4月 『改造』第12巻第4号)

英帝国会議の悩み(1930年10月 『帝国大学新聞』)

最近の英帝国会議に就いて(1931年1月、『外交時報』626号)

太平洋の平和と英国(1937年7月、『改造』第19巻第7号)

大東亜戦争と英国植民政策(1942年1月、『帝国大学新聞』)

英国の印度征服史論(1942年5月、『改造』第24巻第5号)

英国の印度統治(1943年6月、『帝国大学新聞』)

 

「植民地国民運動と英帝国の将来」 では英国植民地運動の動きを良く観察している。もしこれらの動きを理解していれば「アジアの植民地解放」などという誤解をしなかったであろう。英国は植民地が独立して行く事を認識していた。「植民地は果実の如し、熟すれば木より落つる、といったチェルゴーの言は今日尚人口に膾炙して居る。」p.437 知らないのは共産党と軍閥だった。

 

「太平洋の平和と英国」では豪州の日本に対する「漠然たる不安」の事が書かれている。p.472 矢内原は小児病的杞憂で、疑心暗鬼としながらもこれを一掃するための手段が必要、とも書いている。またこの論文の最後で文章が衝撃的だった。引用する。

「英帝国は日本の経済的南進を阻止する事によりて日本の主力を北方経営に向けしめ、前述アメリー氏の論文に述べられし如く、「世界において最も焦燥にして有力に攻撃的なる強国」たる日蘇両国を相互に噛み合させて、英国は高見の見物をすると言ふ利己的態度が、果たして太平洋平和問題に就いての大英国の方針であり襟度で有り得るのであろうか。思ふて茲に至れば、南太平洋の平和の維持は日英両国の共同責任であることは明らかである。」p. 473

戦争開始後に書かれた「大東亜戦争と英国植民政策」も感慨深い。大東亜戦争は南洋に対する日英の争覇である、と。英国は敵となったが学ぶべきところは学べ、と。そして最後に東大を追われた事を「今後再び植民政策を論ずる事をなさざるべしと。それは、余がこの学問を以て国家に奉仕することを、無用であるとなされたからである。」

即ち、共産党と軍閥は新渡戸矢内原の植民政策学を葬って、全く誤解したままの植民地解放という狂気を進めたのだ。