やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ダブ・ローネン『自決権とは何か』ナショナリズムからエスニック紛争へ(5)

第二章 5つの政治的表現 ー 民族・階級・少数民族・人種・エスニック ー

 

ローネンの自決権のカテゴリーはわかりやすい。この5つの分類を見ていると何が抜けていて、私が太平洋島嶼国について議論したいどの部分が抜けているのが浮かび上がってくるのだ。

二章は短いながらも充実した内容で、5節ある最後のエスニックに一番頁を割いている。

 

 最初の3頁に渡る導入部分も興味深い。「人間は18世紀に政治的に目覚めた」とある。人間の完全な解放が始めて求められたのだ。ンンン、日本はどうだったであろう?かなり解放されていたような気もする。「自由」という概念が必要ないほど、自由だったと、これは新渡戸だったか、後藤だったか、矢内原か?が書いていた。思い出せない。

 ルソーが議論されている。ルソーの一般意志は個人の意志のこと。一般意志を国民意志と読み変えた人たち。これが革命を誘導した人たち、であろう。そこに王族、貴族、そしてさらに個人の市民も入っていない。「政治的人間である市民」(マックス・スターナー)だけが解放された。彼らが被支配者の人権 human rights を主張し始めた。だからそこに支配者は入っていない。

自決は「彼ら」「支配者」からの支配に反対すること、離れること、若しくは殺すこと、という一つの政治的動き、であるとローネンは議論しているように思う。

ここでカッセーゼのウィルソンとレーニンの比較の議論が引用できる。前者は平和的秩序的自決で後者は暴力を意味した。皮肉なのはウィルソンは黒人差別だったがレーニンは(具体的にはチチェーリン)「ニグロをヨーロッパ人と同等にする外交政策を」と主張していた。パリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃はレーニンによって暴力的て自決権に発展して行った、とも言えるかもしれない。1960年の国連決議1514 植民地独立付与宣言 の提案者はフルシチョフ、である。