やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ダブ・ローネン『自決権とは何か』ナショナリズムからエスニック紛争へ(6)

引き続き第二章の1節「民族の自決」

 

ナショナリズムとエスニックの違いが議論されている。

自決がナショナリズムの追求という形で議論されているがそれは下記のような例を示す。

脱植民地化(民族によってではなく植民地遺産によって)

自治の運動(必ずしも完全な主権を伴わない)

反共産主義(民族国家イデオロギーに関係)

エスニックの目覚め

多エスニック、多国間ナショナリズム

 

フランス革命の影響を受けた、ドイツ、イタリア。暴君の追放。しかし個人のではなく外国政府からの民族の追放が追求された。そこでドイツ語のvolkの語にドイツ人の歴史主義感情が、即ち分割できず均質である国家のイメージが形成された。

 

エスニックは「言語・文化及び歴史の共有を基にした自己認識の実態」

民族は(政治的に扱われた場合、とある)さまざまなエスニックの一つの集団。

 

二節「マルクス主義者による階級の自決」

この節は著者自身が論じることを避けている。しかし、私は小泉信三のマルクス主義批判を読んだので、マルクスの民族と階級の議論はある程度理解できる。マルクス自身が混乱しているのだ。かれが目指したのがドイツ人の自決。そのためにははイタリアを見捨て、スラブ人を卑下した。問題はそのマルクスの共産主義思想を、皮肉にもマルクスが卑下したスラブ人が、レーニンなどが引き継いだ事だ。

 

第三節「ウィルソンによる少数民族の自決」第四節「ウィルソン主義対レーニン主義」

 ウィルソンがパリ講和会議に望んだ背景を知ると、この節はもの足りない。ローネンがこの本を出版したのが1979年だ。日本語訳は1988年。ロナルド・スティール 『現代史の目撃者――リップマンとアメリカの世紀』は1980年に英文が出ている。ローネンがこの自決権の本を出した時は存在しなかった。私はこれの和訳を読んだ。平和の14か条はリップマンが半分書いたのだ。彼は若干27歳で米国の世論を動かす力を持っていた。第一次世界大戦を法王が終戦の調停役として動こうとしたのを止めたのはリップマンであり、ウィルソンだ。なぜか?アメリカが欧州の平和を導こうとしたのだ。

 だからローネンの書いているように、ウィルソンの自決はイデオロギーというより終戦後の欧州の秩序を、即ち戦争を調停した上で新たな秩序を導こうとするものだった。ローネンはそれはレーニンの自決と違って民主主義であり、アメリカ革命、フランス革命に近かった、と書く。この2つの革命が全く違う思想、政策を持っているようなのでローネンのこの議論は疑問だ。

 レーニンとウィルソンの自決権は自分の論文では軽く扱いたいと思う。ローネンが議論していないウィルソンの「非併合」という提案が「委任統治」という新たな植民制度を作った事を詳しく議論したい。これが戦後の島の法的地位、独立を招く大きな要因になるからだ。