やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ハンナ・アレント『革命について』(4)一章 革命の意味

一日一章読み進めようと計画したが、なんてトンデモない。アレント難しい。面白けど難しい。もっと簡単なやさしい言葉で書けなかったのだろうか?

やっと 「一章 革命の意味」読了。

5節にわかれている。他の事もしながら(特にインド太平洋軍との会議が結構大変でした)だけど、3日間かかってしまった。小室直樹先生の本とは全く違う。(小室直樹著の天皇論も再読中。)

以下、気になった箇所の記録を書き出しておく。とてもまとめられない。

 

1節 <前半はアメリカ革命を中心に、後半はキリスト教を中心に書いている。>

30 革命の舞台を作ったのはアダムスミスとロック。新世界の植民地の豊かさが、財産なき貧者の労働こそが富みの源泉であるという理論を構築。

30−31・32 アメリカがフランス革命に与えた影響は、人権宣言や革命ではなく、その富み、豊かさである。

31 主権という言葉の起源が。ジャン・ボダンが国家主権の至上権をmajestasと、そしてsonverainete に翻訳した。分割されない集権化した権力で王権と共に長年あった。

33 近代革命の起源はキリスト教にある。当り前の議論なのだそうだ。

34 キリスト教が公的権力を軽蔑し神の前の魂の平等、天国を約束している点など。

36 キリスト教哲学は古代の時間概念と手を切った。

 

2節

39 解放=liberation と自由=freedom の違いが議論されている。解放という観念はネガティブである、と。

41 平等自由は、市民になることによって受け取るもの。自然によって与えられたものではなく、法律であり、約束であり、人工的であり、人間の努力の結果。ハレントは議論していないが「義務」という観念が権利・平等・自由を語る時に忘れられているように思う。

43ー44  革命が自由と解放に関係して来たやっかいさ。解放の自由は専制君主では得られなくとも君主制では得られる。freedomは政治体制、即ち共和国体制を必要とした。しかし共和制か王制か当時の原理場の争いを革命史家は無視してきた。

47 革命は変化だけでも、暴力だけでも説明できない。それは新しい始まりであり、暴力により新しい統治形態、自由を目指した抑圧からの解放、が必要。

 

3節 

50 マキャベリは18世紀の、即ちフランス革命の主導者と似ていたが、ロベスピエールはマキャベリを引用している。

51 マキャベリ(1469−1527)が追求したのはルネサンス分か全体の政治的側面。フランス革命主導者は過去に目を向けなかった。 

54 rebellion, revoltという言葉に革命の解放の意味はない。新しい自由の樹立も含んでいない。

 

4節

57 revolutionという言葉は天文学用語でコペルニクスの天体の回転の意味。De revolutionibus orbium coelestium 周期的で規則的な回転運動の事。

58−59 回転しながら戻る運動、という意味ではクロムウェルのではなく、1660年の王政復古を、また1688年の名誉革命を「革命」と呼んだのである。

60 フランス革命とアメリカ革命は絶対君主制、植民地政府の権力濫用によって侵害された古い秩序を取り戻すことが目的だった。

61 ベンジャミン・フランクリンは米国の人はだれもイギリスから分離したいと言っていなかった事を書いていいる。

62 バークは習慣と歴史に守られたイギリス人の権利を守り、人間の権利に反対した。人権宣言は過去に居場所はなかった。人間の平等はキリスト教ではなくローマに起源がある。 

 

5節

65 revolution の天文学として用語が革命に変わったのは1789年7月14日。

66 王は反乱と、リアンクール(って誰?)は「いいえ陛下、これは革命です。」と。

67ー68 ロベスピエールによれば「暴君の犯罪」と「自由の進歩」の両極が速度を増し、高まる暴力の流れに。

69 この頁でハレントが展開している革命者の身の変わりようは面白い。彼らは:王党派だった、私有財産権の擁護者だった、地方分権を一旦は進めそれを捨て過去にもなかったような中央集権を樹立した。戦争をして勝利した(ここは自決権が隣国の侵略であった、というカッセーゼの話だろう。)

70 ここも印象的だ。フランス革命以来、革命は永久に続いている。ロシア革命もそうであろう。訳者の速水氏はこの箇所をどのように解釈したであろう。

74−76 ヘーゲルが語られているが、わからない。ヘーゲルが全然私にはわからない。やばい。

76 世界を火の中に投じたのはアメリカ革命ではなくフランス革命だった。マクロンは何と言うか?

77 ここは心に突き刺さる。ハレントは「痛ましい事実であるが」と前置きしフランス革命が世界史を作り、アメリカ革命は局地的なものに終わった、と。

79 10月革命を取り上げ、内部の強制するイデオロギーと、外部の強制するテロルがボリシェビキ革命下にあり云々、とここは(も)難しいけどなんとなく言いたい事がわかるような。。

80 ロシア革命の話が続くが、例として革命は穏健派と過激派に分裂し、中道派が即ちロベスピエールが粛清を行う事になる。それは歴史であって活動ではない。(この最後の文章もなんとなくわかるのだが、明確ではない。)

最後の文章はその歴史に従う滑稽さを書いている。英語の原文を書いておきたい。なんとなく重要な箇所のような気がする。

There is some grandiose ludicrousness in the spectacle of these men – who had dared to defy all powers that be and to challenge all authorities on earth, whose courage was beyond the shadow of a doubt – submitting, often from one day to the other, humbly and without so much as a cry outrage, to the call of historical necessity, no matter how foolish and incongruous the outward appearance of this necessity must have appeared to them. They were fooled, not because the words of Danton and Vergniaud, of Robespier and Saint-Just, and of all the others still rang in their ears; they were fooled by history, and they have become the fools of history.

1960年の安保闘争時に全学連国際部長だった翻訳者の志水氏はアレントから“the fools of history”と自分が言われたと受け止めた、のではないか。