やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ハンナ・アレント『革命について』(5)三章 幸福の追求

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 かなりボリュームのある二章の社会問題をスキップして、三章の幸福の追求を読んだ。面白いと思えるのだがまとめることはできない。やはり難しい。一章と同様印象に残った箇所だけ、メモしておきたい。(ちくま学芸文庫 2019年)

 

177頁 貧困から解放、平等のために暴力を使って良い、としたのはルソー。しかし革命がなかった国、革命に失敗した国の方が自由を満喫している。

179頁 フランス革命の舞台に貧民が登場するとは誰も予想していなかった。

179−180頁 ヨーロッパの王の権威も自由の栄光も失っていた。

181頁 フランス革命とアメリカ革命の共通点は「公的自由に対する情熱的関心」

182−183頁 アメリカではフランスが言う公的幸福を公的幸福と言いかえ、公的な活動をすることで幸福を得ることを知っていた。ジョン・アダムズの言う「卓越への情熱」「張り合い」「野望」「政治的人間の主要な徳であり悪徳」(ボランティア活動って幸福感あるよね)

184−185頁 アメリカに比べフランス革命は著しく理論的なものだった。しかし革命後数ヶ月、人民の声を神の声と陶酔したロベスピエールが現れた。フランスにデモクラシーという人民による支配を強調した言葉が現れたのは1794年以降。国王処刑の時も「共和国万歳」すなわち客観的な公的概念を維持していた。

186頁 革命は18正規の政治学の規範や真実とは関係なかった。他方アメリカ建国の父たちは政治理論に熱心で、いささか滑稽と思えるほど博識のために革命は成功した。ジョン・アダムズの著作は切手収集のように古代近代の記述を引用しているだけ。(ここはすごく納得できた。コモンセンスやザ・フェデラリスト位しか読んでいないが、あの軽薄さはなんだろう、と思っていました)

190頁 ここも難しいが非常に重要な議論のような気がする。彼ら(とは仏米革命の主導者たちだと思うが)は新しい公的自由を指して「自由」と言った。それはアウグスチヌス以来の哲学者が知っていた自由とは違って、自由は公的にのみ存在することができた。

192頁 フランスと米国革命の違いとして憲法制定のことが書かれている。フランスは人民を無視して憲法を制定した。よって建国の父、となることはなかった。彼らは憲法制定が娯楽となった世代の先祖であった。

193−195頁 ここの自由論も重要だと思う。ジェファーソンは独立宣言の中で「生命、リバティ、財産」を「生命、リバティ、幸福の追求」と言い換えた。ジェファーソンは「公的幸福」とは言わなかった。アレントの議論は複雑なのだが、「公的幸福」がアメリカ革命以前、すなわち米国に移民した時から目標とされていた。そして私的幸福だけでは全員が共に幸福であることはあり得ないことを人々が知っていた。

204頁 革命は永遠であるというロベスピエールの理論は、公的自由が革命の終わりによって終わってしまう、ということ。すなわち米国が革命によって市民的権利を縮小させなかった、すなわち革命の創設者が支配者となったため「彼らのいう」公的幸福の終わりを意味しなかった。

210−211頁 アメリカはヨーロッパの長引く貧困という必要を克服する地であった。アメリカは自由の創設に先行して貧困からの解放が成功した。しかし、大量の移民は自由の創設とは違う貧困から生まれた理想の下に委ねられた。それは豊かさと際限のない消費は貧民の理想、であり、豊かさと貧困は同じ硬貨の両面である。(この部分は私が米国に感じていることだ。あの浅はかな豊かさは何なのだろう?といつも思っていた。)「突然の富を求める破壊的情熱」これは多くのアメリカ文学『華麗なるギャツビー』などを見るとアメリカの豊かさの隣にある貧困をいつも感じていた。

さらにアレントはアメリカの夢は自由の創設でも、人間の解放でもなく、ミルクと蜜の流れる「約束の地」であった、とも表現している。

212−213頁 ここも重要な気がする。公的幸福より家族の幸福が優先される。リベラリズムという混乱した観念が公的徳は野心でしかない、虚栄であると避難され個人の自由が追求されて行くことになる。

 

<感想>

私が博論でアレントを引用するとすれば、その奥深い議論に触れることは避けたい。私自身が理解できないからだ。引用するとそれば表層的な範囲になるであろう。即ち自決権の歴史的議論の中で、自決権が国家の独立を意味することになったフランス革命とアメリカ革命が全く違う内容であること。前者が貧困を政治の舞台に呼び出しながら対応できなかったこと。他方後者は革命以前にヨーロッパの貧困の問題を解決していたこと。フランス革命の暴力は脱植民地を叫ぶロシア革命、レーニンにつながって行き、戦後の小国の独立だけでなく、昨日(2019年11月23日)から開始したブーゲンビルの住民投票の動きも含む、国際法の自決権が貧困や社会問題の解決につながる訳でない事が、少なくとも説明できる。