やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

満州事変 ー 笹川良一と松本重治、そしてI House

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緒方貞子さんの満州事変の論文を読んだ事がきっかけで、そこには出て来ないが満州で活躍・暗躍した同い年の松本重治と笹川良一の存在を思い出した。そしてこの二人が影響を受けたのが、私がここ数年関心を持っている新渡戸稲造と後藤新平である事も思い出した。

前回のブログの続編を、と言う声が結構あってどう続けようか迷っている。

笹川良一を知る人は多いが、松本重治は誰?という存在のようだ。

あの六本木の国際文化会館ーIHouseの、と言うとわかる人もいる。また重治が大金持ちのボンボンである事も知らない。良一も造り酒屋の長男で父親が亡くなった時に纏まった遺産を得たようだが、小学校を出てすぐに寺に修行に出されており、欧米に遊学した重治とは正反対のような青年時代だったように思える。

私はこの二人の研究者ではなく、存在を近くに感じながら太平洋島嶼国の仕事してきただけだ。早川さんの視点で書いて下さいとのコメントをもらったのでそういうのもいいかな、と思い書いてみる。

 

笹川平和財団に太平洋島嶼国基金ができたのは良一の特別な関心があったからであろうが、財団でその事を知る人はいないし、誰も太平洋島嶼に関心も知識もなく、私が一人で30億円の基金を立上げ運営してきたのである。だからこんなに詳しくなって今ではインド太平洋司令軍まで私に問い合わせが来る程だ。

松本との、具体的にはIHouseそしてご子息の松本洋氏、その洋氏が作ったAPICとの接点、そして前回書いた西尾珪子さんとの関係は、非常に私の個人的な経験である。財団は何も関知していない。

I House もAPICも太平洋島嶼に関心が強い組織で、米国のロックフェラーを通信で繋いでサモアで会議などと行っていた。私はより具体的に南太平洋大学の衛星事業を検討するために専門家委員会を立上げたのだが、当初このAPICに事務局を委託する事となった。しかしAPICは太平洋島嶼国の事をなにも知らないし、事務能力は低く、さらに笹川叩きしかできず肝心の事業内容の協議ができない。2年目から自分で事務局をすることとしたのだ。

松本洋さんやIHouseとの接点もたまにあったが「笹川」のせいかこっちが小娘のせいか、まともに話した事はない。こちらも中身のない組織と付き合う気もなかったが、後で西尾さんから松本重治が大の笹川嫌いである事を聞いて納得したのだ。

松本重治が友人だというロックフェラー家は民族学者だったマイケル・ロックフェラーを1961年にイリアンジャヤで亡くしている。太平洋島嶼は彼らにとって特別な場所なのである。

重治がロックフェラーに会ったのは新渡戸が議長をした1929年のIPR京都会議の時だ。もしそこで本当に尊敬し合えるような人間関係が築かれていたのならば1929年以降の日米関係改善に松本重治は何かしたのであろうか?

笹川良一・陽平が太平洋島嶼に関心はあっても何も知らなかったのと同様に、松本重治・洋も太平洋に関しては何も知らなかったと思う。私の勘違いであればその方が嬉しい。