やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「南洋委任統治問題の帰趨」蠟山政道、改造1933年5月号

日本の国際連盟脱退に伴う南洋委任統治問題について世界中が議論する中で、矢内原忠雄が立作太郎博士の国際法上から議論と、蠟山政道の議論を紹介しているのだが、後者を「思想言論態度は自殺的矛盾」(1933年6月、中央公論、546号。矢内原全集第5巻、論文(下)128ー146)と手厳しく批判している。

その蠟山政道の論文を読んでみたいと常々思っていたが、同志社の図書館にあった。 「南洋委任統治問題の帰趨」蠟山政道、改造1933年5月号 66−79ページ

蠟山の言論、思想が重要ではないか、と私が思うのは彼が近衛文麿のブレーンであったからである。 矢内原が批判する記述は最後の節「国際政策の一環としての新南洋政策」のさらに最後の部分である。

79ページ ここに蠟山がドイツに傾倒していると思われるような短い表現がある。これは矢内原先生は引用していない部分だ。 「嘗て獨逸植民地帝国が建設せんとした膠州湾よりニューギネアに至る太平洋縦断政策を継承して…」 このあと、矢内原が引用した「北に満州、南に南洋の両箇の生命線を築いて…」 と続く。この「生命線」もドイツ地政学にしてヒトラーのアドバイザーであったカール・ハウスホーファーのLebensraum「生存圏」と関係していないだろうか?

全部で10ページあるこの論文。全体を読んで良かったと思っている。 かなり刺激的な内容なのだ。しかも奇妙な記述がある。 76ページの「我が日本の南洋政策」という節だ。委任統治制度が国家主義と国際主義の妥協的所産であることを説明した後に「ここに注意すべきは、我が日本の真意は終始一貫して・・・・・・・・・にあつたことである。」と 「・・・・・」が入っているのだ。こんな論文見たことがない! 前後の文章から想像できるのはこの「・・・」に入るのは「国家主義」であろう。その後「日本は国際連盟の如き平和機構による平和の達成には元来賛成していなかった…」と続く。

当時の情勢がよくわからない。

1933年5月頃、日本はごぞって連盟脱退を支持してたのであろう。この頃、蠟山(そして近衛、矢内原)の師である新渡戸は米国に渡って日本の立場を弁明していたはずだ。一説には昭和天皇の依頼を受けて。

もう一箇所この論文で気になった箇所がある。当時の海軍省の非公式発表の内容だ。 「要するに我が南洋委任統治地域の主権問題は我が国の聯盟脱退と沒交渉である、唯海軍とては萬が一にもこの厳然たる主権の存在を否認せんとするが如き他国の言動にでも接することありとすれば我として直にこれを排撃すればよい」

蠟山は後半の表明を「独自の法理論を背後に有っているものとすれば一箇の問題となる」と指摘している。問題どころではない。 海軍省の非公式発表が、どのような経緯で作成されたのかわからないが、当時の海軍の勢いの良さ、無謀さが伝わってくる。

そして、この国際法無視の態度は欧米諸国の警戒感を高め、イアハートの事件にも繋がっていくのかもしれない。すなわち聯盟脱退後の南洋統治地域の軍事化疑惑だ。

苦労して手に入れたこの論文コピーこのブログにアップします。順不同です。 ぜひ多くの方に読んでいただき、日本の南洋政策がどのように間違った方向に、「思想言論態度は自殺的矛盾」に従ったのか、議論を喚起したいと思います。

          

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