やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

クニオ・ナカムラ大統領の遺産(1)ミクロネシアサブリジョナリズムの動き

ナカムラ大統領と日本の関係を、表の、顕教的関係を作ってきたのは私である。
1999年のPIF総会に田淵節也氏と、三塚博議員をご案内し、ここで一気に日本パラオの表の関係のステージがあがった。
翌年2000年は第二回島サミットで、森総理とナカムラ大統領が共同議長。このサミットに私は深く関与した。
同年このお二人をフィジーまでお連れし、ICTの会議に参加いただいた。JICAとJETROの会議である。
 
現在ミクロネシア諸国を繋げる海底通信ケーブルへの動きはここから始まる。不幸にも外務省は、具体的には宮島昭夫大洋州課課長(当時)は離島にブロードバンドは必要ない、という結論に。森・ナカムラを動かしてまで仕込んだ案件を見事にIT素人外交官が潰したのだ。
 
私は諦めなかった。その後通信制度改革に動いた。各国通信政策さえなかったのだ。これが通信の規制緩和、自由化に繋がりアジア開発銀行と世界銀行の支援をもらって現在の通信環境の設置につながった。
 
この動きに沿うようにナカムラ大統領はミクロネシアのサブリジョナルの枠組みを作り出した。1999年にパラオで開催された太平洋諸島フォーラムのSouthをとったのはナカムラ大統領である。ご本人から直接伺った。これに強行に反対したのがオーストラリアのジョン・ハワード首相とニュージーランドのヘレン・クラークだったそうだ。南と北の島々は制度が違う。北のミクロネシアは米国との関係が強いがPIFはオーストラリア、ニュージーランドの影響が強い。ナカムラ大統領はPIFではないミクロネシアの枠組みの必要性を痛感したはずだ。私も支援してきた。
 
通信制度改革がうまくいって、私はもういい、と思っていた。そこにミクロネシア海上保安事業を立ち上げることになったのだ。ミクロネシアで、というのは私の提案である。笹川陽平は太平洋島嶼国のことは何も知らない。
 
表の関係、と書いたのは、ナカムラ大統領は裏の関係もあるからだ。それは麻薬やギャンブル、マネロンなどが関係していると聞くが、たとえそれが本当でも、それしか選択がなかったのだ。アメリカも、日本もあまりにも冷たかったのだ。中国が出てきて慌てって支援が強化されつつある。