やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて30年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

小田 滋著 ー 主権独立国家の「台湾」 : 「台湾」の国際法上の地位

小田 滋。主権独立国家の「台湾」 : 「台湾」の国際法上の地位 : (私の体験的・自伝的台湾論) 日本學士院紀要 2007 年 62 巻 1 号 p. 43-68

海洋法の大家、小田滋先生が台湾論を、しかも「主権独立国家」とうたった論文を書いていらっしゃる。何気に読み出したが、止まらなくなった。

小田先生がこれほど台湾と関係が深いということも知らなかった。台湾の医学界をおじいさまとお父様が作ってきたのだ。

写真左のおじいさまの堀内次雄は後藤新平の差配で台湾に入り、医学教育の始祖となる。右の父親の小田俊郎も台湾で医学教育貢献。

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National Taiwan University College of Medicine  より

 

ウェブ上で読んで経線を弾きたいところをコピペした。

結論を先に書くと、李登輝の友人だった小田先生は台湾独立運動を国際法学者の立場から支援してきた。そして、台湾が中国と同じだったことはなく、最初から主権独立国である、と主張する。小田先生、今97歳でいらっしゃるはず。今の台湾をどのように見ているのだろう?

 

小田滋先生の台湾論。ウェブ上で読んでいてマーカーがひけないので興味深い箇所をコピペ。 初めて知るしことばかり。海洋法の大家、小田滋先生がまさか台湾の法的地位の話を書いているとは・・

<しかしやがて日本全体の軍国化とともに過度ないわゆ る皇民化運動、儒教の寺廟への圧迫、神社参拝あるいは改姓名の強 制にも近い奨励など、当時「内地人」と言われた私たちの目にさえ も余るものがあったのは事実です。>

<しかしその植民地行政は一般に は世界の水準以上のものがあったと思います。>

<教育の面でみれば、東京、京都、東北、九州、それに北海道 についで大正の末には京城とともに、台北にも「帝国大学」がつく られました。このことは日本政府が如何にこれら植民地の民生の向 上に熱意をもっていたかを示します> ああ、こんなところで日本の植民政策が、小田滋先生から聞けるとは!

<私と同じ期の クラスには李登輝が淡水中学四修で入ってきました。・・京都帝大農業経済にすすみました。彼は今でも「私は二〇歳ま で日本人であった」と言って憚りません。・・この旧制台北高校に関する限り・・一切台湾人への偏見、差別はありませんでした。> 差別したのは日本人下級市民だろうな

<台湾総督府治下において階層的に日本人を支配者、台湾人を被支配者とみる単純な図式は誤解のもとでしょう。台湾人で も当時の高等文官試験を通って総督府の高級官僚をつとめた人、役 人としての勅任官もおりました。法曹界に入る人は決して少なくは・・> 朝鮮での植民政策の違いはなんだったのか?

<台湾の一部の 大衆は、日本の植民地支配からの解放を喜ぶ余り、今までの支配者 日本人にかわる「戦勝国民」であるというフィクションに酔い痴れていたと思います。振り返れば、当時日本からの離脱で「独立台湾」 をつくることは可能であったと思います。> 小田滋先生の台湾論。面白い・・

<台湾にはインドのガンジーのような知性のあふれる指 導者が存在しなかったことから、当時の台湾人大衆は国民党政権に代表される中華民国の台湾進出を歓迎こそすれ、この機会にどのような自らの地位を築くかについての深い省察はなく・・> 台湾にはガンジーがいなかった・・

<私の台北高等学校の尊敬する先輩のひとり、私より四期上の王育霖―…昭和一五年に東京帝大法学部を出て戦争末期、日本 の司法官をしていました…多 くの台湾の知識人が虐殺され、台湾の独立運動の芽は無残にも摘み 取られてしまいました。> 小田先生のご友人も犠牲になった2.28事件

<爾来二〇年、日本は一貫して蒋介石・国民党政権との関係を主権国家間の外交関係と位置付けて…大陸を実際に支配するようになっていたのは…北京の中国共産党政権です。…国際法の用語ではいろいろ言われますが、 政治的な理由で外交関係をもたない国家であったと思います>

<支那大陸には国民党政権の統治支配は及ばず、共産党政 権による国家――政治的 entity(実体)――があり、他方で、台湾 には国民党政権を軸とする別の国家――政治的 entity(実体)―― がそれぞれに存在することは、誰もが否定出来ない事実> ここら辺は小田先生の専門内だ。

<共産党政権に大陸を追われて逃れてきた中華民国の国民党政権の支配下におかれた台湾では、もはや「台湾人の自立」はできないのかという疑問…私が「台湾」をいう場合考えるのは「台湾人」であって「中華民国」では…台湾と事実上もまた法的にも無縁の中華人民共和国とは全く関係がありません。>

小田先生は「三つのチャイナ」を提唱

1支那大陸は中華人民共和国の共産党政権の支配下

2「台湾」は「台湾人」を主権者とする別の国家

3中華民国は金門、馬祖しか支配権をもち得ない

実際には台湾の中華民国からの独立論。 「三つのチャイナ」当時の日本外務省首脳 が興味をもって聞いてくれた。

<ここに二つのきわめて重要な問題が…その一つは、当時、一九五〇年代以後、文化・歴史概念と してのチャイナは二つの国家に分裂していた…これは法的現実であり、その意味では南北朝鮮、東西ドイツと同一であります> こう言う議論は初めて読む。

<違っていたのは、朝鮮もドイツも、南北あるいは東西がそれぞれが「二つの entity(政治的実体)」の存在を認識しあっていたのに対し て、「チャイナ」では二つの対立する政権が、あくまでもそれぞれ が全チャイナの支配を仮想してお互いに二つの entity の存在をすら 認めようとはしなかったことです。そうしてもうひとつ、――これがきわめて大事なことですが ――、戦後の国連、そうして国際社会が意図的に目をつぶっていた 問題は、中華民国の国民党政権が逃れて来たかつては日本の統治下 の台湾に住んでいた六〇〇万をこえる台湾人でした

<当時私にはこれら台湾人の医師の人々に、戦後の二・二八事件の 時期をどのようにして過ごしたかを聞くのはためらわれました。政治のことは一切お互いに話をしないのが黙契であったように思いま す。それが当時の台湾人の保身の術だったかと思います。>

<終戦直後の日本の植民地支配からの解放で四〇〇〇年の伝統と文 化を共有するチャイナへの回帰を歓迎した台湾人が、しかし二・二 八を契機として国民党政府への違和感を感じはじめる。しかし戒厳令下それを口には出せない。そうして知識層は独裁政権の国民党政府の存在という現実のなかで、少しでも台湾人のアイデンティティを実現するきわめて現実主義的な方向に向かったのではないでしょうか。しかし、明らかなこと、そうして大事なことは、台湾人は国民党政権に背を向けるとしても、しかし大陸におけるもうひとつ中国共産党独裁政権に自らをアイデンティファイする何物もありませでした。むしろその時から台湾人には共産党支配への恐怖感があり、万一の場合に備えて、アメリカに生活の根拠を移そうとする 台湾人は少なくはありませんでした>

一九四九年以後は共産党政権にとっても国民党政権にとっても、チャイナとして第二次大戦の戦勝国としての扱いを英米から受けて、それゆえに国連五大 国、常任理事国であらねばならぬという思い込みが…はじめは国民党政府が国連におけるチャイナでした。 言われて初めて気が付く

<誰も共産党政権が第 二次大戦の戦勝国のひとつであるチャイナとは思わないが、しかし やがて、それが中国国民党・蒋介石政権を駆逐して支那大陸を事実 上完全に支配するようになって北京で政権樹立をしたことを否定することはできません。 支那大陸を追われ、辛うじて台湾 に拠る国民党政権が戦勝国であるが故に国連原加盟国としての地位をもち続けると考えることは余りにも現実から離れていることは明白です。国際社会としてもこうした不自然な状態を戦後の二〇年間打開することなく放置せざるを得なかったのが国連の現実でした。> そうか、その混乱を作ったが日本?

理論的には、その時点で中華民国が安保理常任理事国ではなくても、普通の加盟国として国連に残ることは可能…しかし大陸反攻を唱える中華民国もその道をとりません。こうして国連は、安保理常任理事国としての中華人民共和国の共産主義政権を受 け入れ、中華民国の国民党政府を放逐する決定…

中華民国が日本との外交関係を断ったことで中華民国が国際法上 の主権国家でなくなったわけではありません。事実は、日本は中華民国・台湾とは外交関係は断ち、大使館は閉ざしながら、文化、経済関係を続けました。北京政権も日本の中華民国・台湾との交流維 持に公然と理解を示していたと伝えられます

むしろ日本と台湾との距離を縮めた…外交関係を断った中華民国とは政府の外交レベルでは付き合えない、しかし民間レベルでは…かつて台湾に住んだ日本人の第二の故郷「台湾」 への訪問が増え…父・小田俊郎の医局に育った医学者たちが…東京に住む父を見舞ってくれるようになったのもその時期…

一般に誤解されていますが、外交関係をもたないとい うこととそれが国際法上の主権国家として存在しているということは別次元の問題です。そのことは現在の日本と北朝鮮との関係を見 れば明らかだろうと思います。<< 台湾は主権国家という立場か。。

<国連からは放逐された中華民国が国際法のもとでは依然として台湾の地域をもつ国家であった…中華人民共和国が支那大陸から離れた台湾まで支配しているという虚構は法的にもまた事実としても全く通用するわもありません。台湾には土地、人民、確立した国民党政権が存在し ました。国際法上、国家とは「土地、人民、政府」、あるいはそれ に加えて「外交能力」の三ないし四要素からなります。国連の場をはなれて、中華民国の主権国家の地位はゆるぎないものがあったと言わなければなりません。> こう言う見解は初めて知る

<ニューヨークから来ていた国連事務局の職員から「台湾という言葉を使わないでほしい」という指摘を…私は「台湾は世界の国連統計ではブランクなのか、豊かな国土ともっともすぐれた教育を受けた人民、そうして少なくとも 世界の水準から見てもひとつの統治機構をもつ台湾が国際法上何なのだ」と>

政治的に二つの「チャイナ」を言わないだけ で、法的にも二つの主権国家が存在することを私としては主張し続 けました。国連加盟国ではない中華民国・台湾の存在はまぎれもな い国際法上の事実であったのです。

事実上は二つのチャイナでした。しかし大事なことは、…チャイナにおける自分以外の entity の存在 が認めることを拒否するという台北の国民党政権、北京の共産党政権、双方の頑なさが問題を複雑にしたのです。

<ホテルに戻ったとき副総統・李登輝からの電話で「明日オフィスに来ないか、国連の身分もあろうからプレスは押さえてお く」…その翌日総統府に副総統・李登輝を訪ねました。 戦争末期台北高校卒業で別れてから四〇数年ぶりのことでした。日台関係が話題でしたが、その席で副総統の李登輝が並々ならぬ負 をもち台湾――中華民国ではありません――の将来に自信をもって その衝にあることが私に感じられました> 小田先生のすごい場面を今までも読んできたが、これもすごい。

<東洋一をほこる台湾大学病院は竣工しておりました。か つて私の父が院長をつとめていた大学病院です> 台湾の医療能力の背景には後藤だけでなく、小田滋先生のお父上の存在もあったのか。。

台湾人の自立をひたすら警戒してきた 大陸系支配の国民党政府であった数十年前から、台湾人、外省人一 体になって中華人民共和国とは全く別の「ひとつの台湾」をまもりたてようとする時期に…その意味では私には今や 国民党の党主席である李登輝と民進党と実際にどれだけの違いがあるかは計りかねた。

<「台湾の独立」ということがいわれ、中華人民共和国がこれを極度に警戒…この言葉は決して 「台湾の中華人民共和国からの独立」の意味ではなく、「台湾人が中華民国から自立する」という意味であった…台湾が中華人民共和国の一部であったことはあり ません。> だんだんわかってきた、気がする。

結びに入りました。。

第一に、「台湾は中華人民共和国の一部である」という北京から 流れてくる説はなんらの法的根拠ももたない政治的幻想以外ではな いことを十分に認識しなければならない

第二に…多くの国々が中華民国との「外交」関係を断絶しました。一九七二年の日本もしかり…しかしそれは中華民国統治下の台湾が中華人民共和国の一部であると認めたからではありません。…中 華人民共和国の飴と鞭の「外交」の前に国際社会の多くの国が…これに屈服して中華民国との外交関係を断った

<私はもう二〇年近くも前に、友人としての総統李登輝に「台湾は 国連への加盟を、始めには少なくともオブザーヴァーの資格の申請 をすべきである、WHOをはじめ専門機関への加入申請をすべきで ある」、と示唆したことがあります> 小田先生の入れ知恵だった・・

第三に…現在でも 日本の新聞などにもしばしば登場する「台湾の独立」という言葉…これは中華人民共和国からの独立ではあり得ません。… 繰り返すまでなくこの半世紀、「台湾の独立」といわれて来たのは、「台湾人の中華民国・国民党からの独立」で、およそ北京政権とは全くかかわりのないことでした。

<第四に、私も現実の国際政治に全く無知ではありません。一 九七〇年代の初頭、国連代表権をめぐる「安保理常任理事国のチャ イナはひとつ」という考え方を「ひとつのチャイナは中華人民共和 国、そうして漢字(日本語)では中国」とすり替えた北京政府の恐 ろしさを知らないわけではありません。この国際政治の恐ろしさか ら、私は確かに現状を急速に変えることは得策ではないかも知れな いとも思います。そのためには「台湾人」 がその国名と憲法を自らのものに修正しなければなりません。> ここも省略できないので丸写し。

<第五に、私は四〇〇〇年の歴史と伝統をもつ「チャイナ」に 対する尊敬と敬愛で人後に落ちるものではありません…李登輝がいった「中華人民共和国と台湾は対等の独立国であ り、どちらが兄であり弟であるかを問わず、兄弟関係である」とい うことを思い出します。>

最後 <私は台湾が四〇〇〇年のチャイナの伝統と文化の価値を 大陸と共有するという発想はよしとしても、間違っても「台湾は中 華人民共和国の一部である」という虚構の政治的幻想に惑わされることのないことを、国際法学者として、また「台湾人」を愛する日本人として願わずにはおられません。>

やー、小田滋先生は深い。マリアナ海溝のようだ。

これも読みたい。後藤新平とつながっていました。 「堀内・小田家三代百年の台湾――台湾の医事・衛生を 軸として――」(平成一四年、日本図書刊行会)