やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

インド洋太平洋を守った日本帝国海軍ー伊吹だけじゃあなかったのよ

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写真は上から、ドイツのエムデン、豪州のシドニー、そして日本の伊吹

オーストラリア西部で開催されたアルバニー船団式典に海上自衛隊の「きりさめ」が招待され、サンキューという言葉もあったという事である。

第一次世界大戦でヨーロッパに向かうANZAC船団を護衛した「伊吹」ばかりが取り上げられるが、実は英国海軍がヨーロッパシアターに引き上げてしまい、太平洋なかりでなくインド洋、すなわち英国領及びオランダ、フランス領土も守ったのは日本帝国海軍であった。

本当はこのテーマはあまり関心がなかったのであるが、左翼化した日本のガクシャが、ミクロネシア諸島は火事場泥棒のように日本が占領した、と書いていたのを読んで、唖然。

先日、平間洋一先生の『第一次世界大戦と日本海軍 ー外交と軍事との連接』を読みなおした。ついでに参考文献にあった"Blue Water Rationale"というニュージーランド海軍史も手に取った。

アルバニー船団の出発が11月1日になった理由はご存知でしょうか?ニュージーランドがドイツに襲われるのが怖くて日本の伊吹が来るまで出発を延ばしたからです。当時のニュージーランド艦船、ドイツ艦船に出くわしたら5分で沈没、と言われていたそうで。

下記、平間先生の本から日本帝国海軍の活躍ぶりを書き出してみます。

9月7日 シャルンホルストとグナイゼナウが英領ファニング島(現キリバス)の通信所を砲撃破壊、海底電線を切断

9月14日 シャルンホルストとグナイゼナウがサモア沖に、エムデンがベンガル湾に出現との情報

9月20日 ザンジバルで旧式巡洋艦ペガサス(Pegasus)がドイツ巡洋艦ケーニヒスベルクに撃沈

9月21日 アドラスがエムデンに砲撃

9月21日 戦艦薩摩、巡洋艦平戸•矢矧の3隻を豪州艦隊との共同作業のため増派

9月23日 シャルンホルストとグナイゼナウがタヒチを砲撃

9月27日 伊吹をANZAC軍(約3万人、輸送船38隻)護衛のためアデンまで使用したいとの英国の要請を受諾

ドイツ東洋艦船包囲のため英国海軍の要請に応じ戦艦薩摩、巡洋戦艦鞍馬•筑波、巡洋艦浅間•平戸•矢矧•日進•春日•出雲、駆逐艦山風•海風をカナダから南太平洋に派遣。

エムデンの対処にインド洋に巡洋艦船伊吹、巡洋艦筑摩•日進を送る。

ドイツ軍は太平洋にあまり出没しなかったが、それはドイツ海軍史によると日本が恐くて出て行くのを止めたそうである。日本帝国海軍の抑止力効果は大きかった。

それからここが大事。豪州海軍及び国家は人種差別的な、失礼な態度を日本帝国海軍に取り続けた。誤報、抜け駆けは当たり前。加えて助けに来た矢矧に西部豪州で発砲までしている。 ああ、情けなや、豪州王立海軍。これぞ棄民の姿か。今もその面影は十分ある。

当初、日本側は南洋諸島を領有する意思はなかったようだが、このような無礼千万な豪州の対応と、英国海軍がドイツにやられっぱなしで日増しに日本帝国海軍の助力を必要とする中で、南洋群島の領有は当然、と考えるようになった。また英国もこれだけ日本の軍事援助をもらったからには南洋群島位は差し出さないと納まりがつかない、と思ったようだ。 10月初旬、日本帝国海軍は次から次へとミクロネシアのドイツ領を占領。 豪州がミクロネシア諸島を占領しなかったのは同諸島が旱魃で食料不足であり、もし豪州が占領すれば住民に食料を与える責任が生ずる。よって通信基地があったヤップだけを占領(実際には攻撃しただけ)すればよいとの判断。しかしドイツ軍は通信施設を修復し通信を再開。

そこで日本軍がこれを占領しヤップも日本が一時占領する事となった。 日本帝国海軍は占領したミクロネシア諸島の子供達に早速教育を開始しているのである。勿論食料も補給したのであろう。

日本軍は新渡戸稲造から植民地論をしっかり学んでいたのではなかろうか。 だから日本のガクシャさんが日本の南洋占領を火事場泥棒というのは、無知なのか、非国民なのか。。こちらも ただただ、ああ、情けなや。