やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

樋口レポートとインド太平洋構想(1)

私が、2008年にミクロネシア海洋安全保障事業を一人で立ち上げた背景には、恩師、渡辺昭夫先生が書かれた「樋口レポート」がある。戦後初の、冷戦終結後の日本の安全保障政策である。

一言で言えば、日米同盟を基盤にした多角的な安全保障だ。これを展開するのに、ミクロネシアこそ、太平洋こそ的確な場所はない。

私が渡辺昭夫先生に出会ったのはその御著書で、90年代始め。島嶼国の真の独立を!と叫ぶ左かかった学術書は気持ちは同調するが、現場を知っている頭が着いて行かなくなったころだ。

太平洋島嶼国を囲む米豪仏NZの存在が重要で、無視できないこと。そもそも島嶼国の人々が旧宗主国との関係を大事にしている事を現場で思い知った頃だった。

私が渡辺先生のお名前を本で知ったころ、渡辺先生は樋口レポートを書いていらしたのだ。

渡辺先生が青学に在籍されていることを見つけ、その門を叩いたのが1996年の秋。

面接官が渡辺先生であることを知らなかった私は、すなわち事前の相談をせずに入試に臨んだ私は、面接官が突然英語で why Aoyama?と聞いてきたので 「渡辺先生がいるからです」と答えた。その面接官は 「それじゃあ落とせないあ」と笑っていた。

鈍チンの私はとっさにはわからず、後でその面接官が渡辺先生と知った次第。

ともかく無事に入学でき、社会人のための夜間コースに2年通って、第一回島ミットの主要案件となったUSPNetと関連するPEACSATの事を国際政治学の視点で書き上げたのだ。1999年の新春。

「樋口レポート」を再び読んだのは2008年。この政策の背景や影響については秋山昌廣著『日米の戦略対話がはじまった』で初めて知ったのである。

そして、ミクロネシア3カ国の大統領を動かした海洋安全保障事業は、日米同盟を基盤とした、日本の多角的安全保障事業と位置付けるべく決心をしたのだ。そして私は渡辺先生に「樋口レポート」のリベンジが私がやります!と宣言をした。