「秋山さん、とにかく防衛懇談会のレポート、特にその議事録と参考資料を全部読んでください。そこには全ての事が書かれていますから。」
防衛大綱見直し作業の責任者となった秋山氏にこうアドバイスしたのは佐久間一元統合幕僚会議議長であったことが『日米の戦略対話が始まった』に書かれている。(22ページ)
樋口レポートは防衛官僚(佐久間、畠山、西廣、村田氏ら)が主導し、冷戦後日本の、イヤ世界の安全保障を憂慮した動きだった。その思いを受け継いだのが秋山氏だ。先般のインド太平洋での6カ国共同演習を一番喜ばれているのはこの防衛官僚たちかもしれない。
佐久間 一 統合幕僚会議議長 防衛問題懇談会委員
西廣整輝 防衛事務次官 防衛問題懇談会委員
畠山蕃 防衛庁事務次官
村田直昭 防衛局長
繰り返すがこの報告書をまとめられたのが同懇談会委員だった当方の恩師、渡辺昭夫先生である。座長はアサヒビールの樋口廣太郎氏、座長代理に諸井虔氏、委員には猪口邦子氏、大河原良雄氏、行天豊雄氏、佐久間一氏、西廣整輝氏、福川伸次氏、そして渡辺昭夫先生。
1994年2月、細川内閣の私的懇談会として開始し、週2回の会合を開催。同年8月に20回の会合を経て「日本の安全保障と防衛力のあり方」通称「樋口レポート」が完成した。渡辺先生が62歳の時だ。
議事録と資料は床から積み上げられるほどあり、秋山氏は一気に読破した、とある。
細川総理は軍縮の必要性を主張し、早急な防衛大綱見直しを指示。
「全国から集結した精鋭の陸海空自衛官が整列する前で、歴代首相がモーニングを着て訓示を荘厳に読み聞かせるのと全く異なり、背広姿で、マイク片手に自衛官に対して軍縮を呼びかける光景は自衛隊に大きな衝撃を与えた。」(32ぺーじ)
細川総理がどのように動き、結果的に西廣氏が懇談会の基礎を作っていた裏話が明かされている。秋山氏は西廣氏から聞いた防衛政策の要点をメモにまとめ本に記載している。書き写す余力がないのでそこだけ写メを貼らせていただきます。
樋口レポートがどのように作成され、政府、米国が受け止めたか。なるべく要点を手短にまとめたいと思いますがまだまだ続きます。