やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

Pacific Familyって誰のこと?

Recently, and only recently, I have been hearing the term "Pacific Family" from Australia. However, I feel very uncomfortable with it. Why?

1 I have never heard the term "Pacific Family" from Pacific Islanders.

2 I have been traveling around Pacific Island countries for more than 30 years, and I feel that the antipathy of Pacific Islanders toward Australians is so strong that it makes me feel sorry for Australians.

3 I feel that the Pacific Family has a malicious intention to exclude not only China but also the U.S., France, India, and Japan.

4 Pacific Island countries are beginning to be spoken of within the vast geopolitics of the Indo-Pacific, and the onus is on me to suggest that to the Abe administration in 2017. the term Pacific Family is even less fitting.

 

ここ最近、しかもごく最近なのだが、オーストラリアからPacific Familyという言葉をよく聞く。しかしとても違和感が強い。なぜか?

1 太平洋島嶼国の人々からPacific Familyという言葉は聞いた事がない。

2 30年以上太平洋島嶼国を渡り歩いているが、島嶼国の人々の豪州人に対する反感は、豪州人が気の毒になる程強いものであることを感じる。

3 Pacific Familyには、中国だけでなく、米、仏、印、そして日本も排除する悪意さえ感じてしまう。

4 太平洋島嶼国はインド太平洋の広大な地政学の中で語られ始めた。2017年安部政権にその事を提案した私にその責任がある。Pacific Familyという言葉はさらにそぐわない。

と思っていたら、豪州の研究者からこの言葉を使用しないように、という提言を含む文章が出ていた。機会訳して貼っておく。

‘Pacific family’: what does it really mean? - Devpolicy Blog from the Development Policy Centre

パシフィック・ファミリー:その本当の意味とは?
by Juliet Hunt 2022年6月15日

労働党の新政権が誕生して以来、そしてそれ以前から、私は「パシフィック・ファミリー」という言葉について考えてきました。

家族はオーストラリアの私たちにとって重要なものであり、太平洋諸島の人々にとっても非常に重要であることは間違いない。私は、たとえ親しい同僚をフェミニズムの姉妹と暖かく呼んだとしても、自分がその家族の一員であると思い込むことは決してないことを知っています。もし誰かが私たちの家族に入り込もうとしたり、私たちが家族の一員であると言い続けたりしたら、私たちはどう感じるだろうか。ちょっとおこがましいと思いませんか?

もちろん、私たちが誰かを家族に招き入れる場合、その主導権が私たちにあるならば、それはまったく別のものです。私たちはその人を歓迎し、受け入れ、この言葉を使うことで、私たちが常にその人のそばにいることを示すことができるのです。

しかし、誰かが自分たちを家族の一員と呼び始めたらどうでしょう。特に、私たちよりも強力で、私たちの実存的な懸念に耳を傾けていないような人たちだったらどうでしょう?10年以上にわたって公に発表しておきながら、私たちの懸念にはほとんど答えず、私たちが望まないものにサインするよういじめようとしたり、家の周りに洪水が押し寄せたと冗談を言ったりしたら、私たちはどう感じるでしょうか?

この言葉は、オーストラリアのスコット・モリソン元首相が広めたものだと思います。しかし、太平洋の島々との外交を新たな段階に進めるにあたり、この言葉を使い続けるべきかどうか、今一度考えてみよう。太平洋の指導者たちは、この言葉が歓迎すべきものとも、真正なものとも受け取らないかもしれない。我々が彼らの視点を理解し、彼らを尊重していることを行動で示すまでは、である。あえて言えば、彼らが気持ちを返してくれるまで、そして、彼らが私たちを家族と呼ぶまで待つということだろうか。

気候変動に対する彼らの懸念を真摯に受け止めず、太平洋地域の移民の選択肢に関する懸念に耳を傾けるのがあまりにも遅かったため、この言葉はむしろ偽善的に使われたのだと私は考えている。要するに、もともと意味のない言葉であり、時間が経つにつれて侮辱的な言葉になっていったのです。お世辞やごまかしや空言では、真に「パシフィック・ファミリー」の一員になることはできないのだ。

ソフトパワーを理解し、耳を傾け、男女平等のプログラムや暴力とともに生きる女性のためのサービスに資金を提供し続けることを約束し、気候変動や太平洋の労働移動といった問題に真剣に取り組み、本当に尊敬に値する関係を築くことがいかに重要であるかを知っている政府でなければならないのです。私たちは、すでに良いスタートを切っているように思います。

私が一緒に仕事をしてきた太平洋地域の人々は、オーストラリアからの支援とオーストラリアとの関係を純粋に高く評価しています。しかし、オーストラリアの太平洋地域への関わりには、新植民地主義的な色彩が強く、そうで ないかのように装っているものもある。口調と言葉は重要である。

この言葉を静かに眠らせて、隣国への尊敬と配慮を行動で示すことを提案したい。