やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

新刊『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』

新刊『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』 <環太平洋連帯構想から30年―故大平正芳首相の生誕百年>  

当方の2つ目の修士論文の指導教官、渡辺昭夫先生が編集された『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』が先月4月に出版された。今年APEC主催国をつとめる日本にとって、その出発点となった大平構想を確認することは重要である。ここでは私が進めるミクロネシアの海上保安案件に関連する内容として、防衛大学福嶋輝彦教授が担当された第7章「オーストラリアの「アジア太平洋共同体」構想」を紹介したい。

<ラッド首相のAsia Pacific community構想>  

太平洋、特にミクロネシアの海洋安全保障の事業を進める上で、アメリカではなくオーストラリアの安全保障政策が重要であることは過去のブログ「太平洋はアメリカの海?オーストラリアの海?」で述べた。

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福嶋教授は日本国内で数少ないオーストラリア安全保障研究家だ。防衛大学がオセアニアの安全保障政策の必要性を感じ、桜美林大学から強硬に引き抜いた、と噂で聞く。

2008年にオーストラリアのアンソニー・ベルギン博士を招聘し「オーストラリアの海洋安全保障」の勉強会を開催できたのも福嶋教授の人脈に負う所が大きかった。  同書は環太平洋連帯構想から30年のアジア太平洋を巡る、さまざまな地域の枠組みを検証しながら改めて同構想の意義を問う内容だ。福嶋教授は2008年6月にオーストラリアのラッド首相が提唱したAsia Pacific community構想の紆余曲折を辿りながら日豪が、即ち「気心の通じた国同士が機動的に協力関係を打ち出していく「ミニラテラリズム」」の方法を提案する。Asia Pacific community構想は日米豪印中インドネシアのアクターが非伝統的脅威を含む広範囲の安全保障を扱うことを目指す。環太平洋構想からAPECへの流れの中で、隠されたアジェンダであった、若しくは抜け落ちてしまった広義の安全保障。ラッドのAPc構想は大平構想に「今日のグローバル化の時代に合わせてより包括的に焼き直したもの」、即ち海賊問題からテロ、エネルギー安全保障、中国の軍事的脅威まで含めた安全保障をドッキングさせた、と分析する。

 

<ラッドー太平洋共同体の共通性>  

それでは「ミニラテラリズム」で何をすべきか?福嶋教授は具体的な提案として、太平洋島嶼国の広義の安全保障分野に対する日豪のコミットメントの増大である、と提案している。  ここまで書くと、これって日本財団と笹川平和財団がやってる事じゃあないか、と思う。ラッドのAPc構想よりも一ヶ月早く、私はミクロネシアの海上保安案件を開始した。当初、ミクロネシアはアメリカの海と思い込んで日米で進めようとはしたが、冷戦以降はオーストラリアがほぼ一人で広い太平洋の海を管理していたことを知り軌道修正。今は日米豪で本案件を進めている。または、9年ぶりに出されたオーストラリアの国防白書では、中国の軍事的脅威を特記。同時に中国とのエンゲージメントも維持するラッド政権。

 

<環太平洋連帯構想―Pacific Ocean Community>

「大平総理の政策研究会報告書-4 環太平洋連帯の構想」は1980年5月19日に出された。渡辺先生は島嶼の部分をご担当されたと聞いている。  首相就任前の1978年に自身でまとめた「大平正芳の政策要領資料」に始めて「環太平洋連帯」という言葉が出て来る。英文では”Pacific Ocean Community”としている。大平首相は興亜院時代(1939)に「日本の未来は大平洋だ」という思いを得た。その後本省主計局主査で南洋庁を担当している。(1942)。* しかし今APECに太平洋島嶼国の場所はない。  1991年私が一人で再興させた笹川太平洋島嶼国基金は、第3次ガイドラインで大平洋の海洋安全保障を主要テーマに上げた。同基金は大平首相の悲願でもあった「太平洋島嶼国会議」を1988年に開催し、設置されたのである。

基金について|笹川太平洋島嶼国基金 笹川太平洋島嶼国基金 THE SASAKAWA PACIFIC ISLAND NATIONS FUND

*長富祐一郎「環太平洋連帯構想」、1994、財団法人 大平正芳記念財団