やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

梅棹忠夫先生と太平洋

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 2010年7月3日国立民族学博物館の梅棹忠夫先生が亡くなられた。

 年明け、同館長に昨年4月就任された須藤健一先生にご挨拶に伺ったばかりであった。須藤先生は梅棹先生のお弟子さんでもある。

  私は梅棹先生からよくお葉書をいただいていた。

 私はニュースレターや報告書を比較的多く作成していた。民博にも発送していたが、梅棹先生から受領通知をよくいただいた。刊行物は千件近く発送していたが受領通知はいつも2、3通。

 まさか梅棹先生自らが?とも考えた。万年筆の少し歪んだ字。でもとても味のある、というか奥行きの深い字は、失明された梅棹先生の直筆に違いない、と、拝領する都度しばらく机の上に飾らせていただいた。本当に偉い人とはこういうものなのだ、と「礼」の奥深さも知った。

  今西錦司の弟子でもあった梅棹先生はポナペも訪問し太平洋島嶼にも格別なご関心があった、と思う。もし笹川太平洋島嶼国基金に特別なご配慮をいただいていたとしたら、基金が1991年から1995年、36,465,728円をかけて須藤健一先生と実施した4巻の土方久功翻訳出版事業があるからに他ならない。

 

 土方は南洋庁時代、パラオを中心にミクロネシアに10年近く滞在。中島敦とも交遊があった彫刻家だ。叔父は坂本龍馬とも交友があった土佐藩士土方久元。

 民族学がまだ学問として確立する以前、土方は文字のないパラオで民族学的記述を残した。これがパラオならず世界の知の財産であると、多くの方からご意見をいただき、基金が英訳出版に踏み切った。これも私の初仕事の一つだった。

  この土方久功の英訳本4巻を須藤先生が梅棹先生にご報告されたのかもしれない。梅棹先生直接お話をした事はない、が「太平洋の諸島を結びあわせた太平洋国家連合」というアイデアもお持ちであった梅棹先生の太平洋への思いを某かの形でつないでいければ、と思いつつご冥福をお祈りさせていただきます。