冨賀見栄一著、2009年発行
組織進化論では
最も強いものが生き残れるものではなく、
最も賢いものが生き残れるものでもない。
唯一生き残れるものは変化できるものである。
(同書 119頁)
『海上保安庁進化論』は組織論である。
日本財団と笹川平和財団が進めるミクロネシアの海上保安案件が『海上保安庁進化論』に取り上げられていることをウェッブサーフィンしていた時に知り、早く読んでみたいと思っていた。
ニュージーランドから成田の飛行機の中で一気に読んでしまった。シマッタ、なぜもっと早く手にしなかったのだろう、と悔しい気持ちで一杯になった。手元の本は罫線でイッパイになっている。
同書は日本の海上保安庁とは何かを知る世界で唯一の本ではないか?
2008年5月、マーシャル諸島で「ミクロネシアの海上保安案件をやる」と羽生次郎会長が告げた時、「本気ですか?」と聞き返した。「本気だ。」
その時いろいろな思いが過ったが、唯一日本の体制だけが心配だった。私は海上保安庁の「か」の字も知らなかったからだ。進めるのは大賛成だが、日本が対応できるのか?
その時この本はまだ出ていなかったが、40年近く現場を知る著者は海上保安庁の、即ち軍事力でなく、ポリスシーパワーが海洋の平和と秩序維持に貢献することを主張する。
海上保安庁は1948年、戦後の混乱の中で生まれた。著者の冨賀見栄一氏と同じ誕生年である。時代の流れと共にその役割を変化させてきた。
45,000人の海上自衛隊に比べれば12,500人と規模も小さいが、国民からの期待は自衛隊に対するものより大きい。
天皇陛下も「多くの危険を伴う作業であり、(中略)昼夜を分たぬその努力に対し、ここに深く敬意を表すものであります。」(同書115-116頁)と述べられている。
EEZ制定は近隣国との軋轢を生み、海上保安庁の役割は大きく変わった。
資源輸入を海洋航路にほぼ100%頼る日本は自分の領海だけ警備しているわけにはいかない。マッラカシンガポール海峡等での海上保安庁の役割も大きく、さらに国際社会はその出番を待っている。
海上保安庁は正に世の変化に合わせ組織進化論を適応させ、自己改革を行ってきた。
何人かの海上保安庁関係者と話した際は、政府全体の動きとして公務員の削減の煽りを受け、猫の手も借りたほどの忙しさである。海外への活動を展開する余裕はない、とのことであった。しかし国民の声があれば、とも。
それでは国民の声を挙げよう。オーストラリア王立海軍は13,000人でPacific Patrol Boatも展開している。方法はあるはずだ。
例えば、数名の海上保安庁の方に、アウトリーチ活動として数日とか1週間程度ミクロネシアに行っていただく。『海猿』の上映会をする。ミクロネシアの学校や病院を訪ねる。米豪NZが行う海上警備オペレーションに参加する。そして海上保安庁を退職した方たちや民間との協力もあり得るのではないか?
(文責:早川理恵子)