やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『フラジャイル』

『フラジャイル』松岡正剛著,筑摩書房、1995  

最初に太平洋の島々に関心を抱いたのは、その国歌が賛美歌のメロディとイギリスの女王を讃えた歌詞を持っていることだった。7年間通った音楽学校では「西洋クラシック音楽=高等芸術」という市民社会が生み出した偏見(渡辺裕著『聴衆の誕生』に詳しい)に嫌気がさしていて、ジャズやポップスが持つ社会性がやたらと気になっていた頃だった。  

ポピュラー音楽をテーマに修論を書いた後、笹川平和財団で太平洋の島々の仕事をする機会を得たのだが、国際交流・協力という自分の専門とは違った分野に関わることになってしまった。  

「途上国」というラベルを貼られた島々は当初から私にとって豊かで魅力的な存在。一段高いところから援助をするなんて考えはどうにも浮かばない。島の人々は誰よりも優雅で高貴である。そしてしたたかで力強い。  

そんな話しをデザイナーの佐藤好彦さんにしたのが95年頃だったろうか。「あっ、それ『フラジャイル』です。」と指摘され早速本を手に入れた。  

 

<小国の道―小さく、弱いことを肯定する生き方>  

太平洋島嶼国が小国で弱い立場だからこそ「優雅で高貴で、したたかで力強い」存在であり得ることは薄々感じていた。但し、確証も持てなかったし、人に説明することもできなかった。

『フラジャイル』は「「弱さ」は「強さ」の欠如ではない、」ことを幾通りにも、幾重にも説明し、小さいことや弱いことの意味を編み出していく。極小国である太平洋の島々が、また離島の小さな島々が、そのままでもよいこと。小さくて弱い存在である故に豊かで、ときに過激で大胆であることをすっきり飲み込ませてくれた。  

ここから一機に仕事が面白くなった。

「小国」「弱者」である太平洋の島々と確信を持って、対等に渡り合っていける。全てが相対的、対象的、そして逆転する「不思議の国のアリス」の世界にいるような感覚だ。援助関係者の必読書だと思っている。

 

<援助―フラジリティの歪んだ議論>  

本書では国家については論じられていない。「援助」について数行述べられているのみである。と思ったら「千夜千冊―遊蕩編」1256夜で『世界の小国』が取り上げられていた。

書評というより松岡氏の「小国論」である。「いったい国家とは何か。いまや世界中で最もだらしない定義のものである。では、大国と小国とは何か。いまや最も忌まわしい価値観を定義したものだ。」賛成である。

「国家」が誕生しなければ「小国」も生まれなかったのだから、「国家」概念の矛盾や理不尽さを逆手に取って「小国」は自由を謳歌していいのである。 国際政治における小国の研究は百瀬宏著『小国―歴史にみる理念と現実』が 全体を網羅するには最高だし、永井陽之介著『時間の政治学』が奥義を教えてくれるように思う。  

援助については多くの書物があるが「脆弱国家論」を見渡しても「フラジリティ」の歪んだ議論のままであるように思う。センや鶴見和子しかしっくり来ない。

差別をなくす成果とは、隔離された患者を、別の言い方をすれば、一度構築された「差別」の社会的価値観を解き放なす、という意味である。『フラジャイル』では、日本の中世における、ハンセン病患者を含む非人の扱いについて記述されている。中世までは区別はあったが差別はなかった、もしくは差別があってもそれは社会のトップである天皇へワープする存在でさえあったのだ。その仕組みが作られていた、という内容だ。  

私の勉強不足だと思うが、開発学や経済学に弱者の視点から書かれたものが少ない中で、この本は貴重な存在だ。