まるで宇宙にいるような錯覚におそわれた。
2010年の12月、京都。
東山から昇った月齢14夜の輝く月には、兎が餅をつく姿は見えず、クレーターがはっきり見える程、迫ってきた。
地球にうっすらかかる大気がレンズの役目をして、東西の空に掛かる太陽や月を大きく、時に七色に染めることがある。
水の多い京都は霧や霞が多く、そのことが日本の色文化を発展させた要因であることはここに書いた。
多分はこの日はいつもよりも大気のレンズの性能が強かったに違いない。
夕日が赤く見えるのは、地球にかかっている大気が朝晩の角度の方が昼より厚いこと。朝より夕方の方が赤が強いのは昼間埃やチリや蒸気が大気に蔓延し、大気のレンズ機能が高まっているからであることは、説明する必要もないか。
イヤ、大新聞の論説委員長とキリバスに行った時のことである。満月の美しいラグーンに佇んでいた。「早川さん、キリバスって星が少ないのかしら。」「???」返事に困りしばし沈黙。「私、非科学的なこと言った?」「(笑顔を返す)」
テナ話もあるから一応書いておく。
この月を、桓武天皇や白河上皇、小野小町も観ていたのだと思うとドキドキしてきた。平安の時代であれば、夜は今よりもっと暗く、遮る建物も少なく、大気の環境によって変わる月のさまざまな姿を観ていたに違いない。
月の満ち欠けは日々の生活にもっと近く寄り添い、海の干満に呼応していることを人々は肌に感じていただろう。
電気ができて便利になったけれど、失ったものも多い。