やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

祇園祭 ―民俗“楽“的考察

 

 2010年7月、京都三大祭りの一つ、祇園祭りを初めて鑑賞させていただいた。

 テレビによく出る山鉾は宵祭りの、即ち前座であることも初めて知った。

 通行止めされた大通りには日本中の屋台が集まったような賑わいで、歩けないほどの人、人、人。京都の人はあまり行かないのだそうである。

 観光化された伝統文化を考察してみたい。

 

 

<古代日本の多文化主義>

 祇園祭りとは八坂神社のお祭りだそうだ。

 「八坂」は渡来人、高句麗系氏族の八坂造(やさかのみやつこ)一族がこの地を起こしたことに由来する。794年の平安京遷都よりもずっと前の話らしい。

 

 なぜ祇園祭り、というのか?

 八坂神社は須佐之男命を祭っているが、明治の廃仏毀釈まで「祇園社」「感神院」と長らく称していた。それで芸者さんの町に「祇園」という名称が残ったのか、とこれも初めて知る。

 「祇園社」と名乗った背景には、876年天竺の祇園精舎の守護神、牛頭天王を八坂郷の樹下に迎えた史実も関連ありそうだ。神仏習合。

 渡来人や異教をどんどん受け入れる日本の古代社会。そのころの日本人のメンタリティは想像もつかないほど柔軟だったのではないか。

 遷都を決断した桓武天皇のお母さんも渡来人、京都の町も渡来人秦一族が興したって、お母さん最近知りました。

 

 

<京の町のゾーニング主義>

 「おねえさん、八坂はんの正門どっちか知ってますか?」

 東山、石堀小路の近くのレストランでランチを取った。祇園祭を見に来た、と言ったらレストランの主人に聞かれた。 

 「あっちの、四条通りに面した門だと思ってはるでしょ。」

 「え、違うんですか?」

 「正門はこっちどす。かんにんしてや。祇園祭はうちらの祭どす。あっちとは関係ないのにお金だけはあちらに落ちるんですわあ。かなわんわあ。」 

 

 京都にちょっと住むとすぐ分かる。京都の人にとって自分の住む町や区分は大きな問題のようだ。あの人は何町の何通りの人。うちの祭は、あっちとは違う。

 まるで異国のような扱いをする。

 

 本番の祇園祭りは八坂神社に祭られているスサノヲノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミを三基の御神輿に乗せて、御旅所という四条通りの高島屋の隣に1週間鎮座させることなのだ。そこでスサノヲノミコトの荒魂(アラミタマ)と和魂(ニギミタマ)が一つになる。陰陽道の世界らしいのだがこれは来年の宿題とする。

 「神様の夏休みどす。この暑いのにエライことどす。」

と、レストランの主人は自分たちの神様が隣町にさらわれたかの如く、不愉快そうに教えてくれた。

 

 

<1200年の歴史を支える富の分配>

 「お稚児さんやるのに、数千万円かかるんでっせえ」

 タクシーの運転手さんから聞いて始めは冗談だとばかり思っていたが、10人近くにヒヤリングをしたところ、どうも本当らしい。

 お稚児さんは三人いる。メインが一人で二千万円強、サブが二人で一人一千万円強。合計5千万円位にはなる。

 お稚児さんは関係者が選ぶのだそうで、自分から手を挙げてなるものではないそうだ。

 また、お金があるだけではなれないそうで、家の格式も選ばれるポイントらしい。お金も格式もなければ問題外。格式だけでも、お金だけあってもだめ。

 お稚児選びはお祭りが終わったとたんに始まる。それだけ格式とお金を備え、且つ適齢の男の子がいる家は少ないのであろう。

 この五千万円は何に使われるのか?

「御神輿を担ぐ人の御弁当代や謝金、山鉾の修理代、いろいろ掛かりますわー。」

 会計明細はないらしく、一種の機密費だ。

 富み格式を備える者、選ばれし者が一時の名誉ある役割の代替に大金をバラまく。

 これぞ京の町を支える富の分配構造ではないか。

 

 

<川端康成『古都』に見る祇園祭>

 観光化された祇園祭に伝統的価値がどこまであるのか当初疑問を持ったが、そこは京都の深い歴史が脈々と息づいている、と4日間の滞在で思った。

 世界中から何十万人もの観光客を集め、経済効果も大きいのだろうが、やはり京都に住む人のための祭であり、またそうあって欲しい。

 

 私の祇園祭の原風景は川端康成の『古都』にある。

 宵祭りの夜、赤ん坊の時に生き別れた双子、千重子と苗子が偶然再会する。同じ夜、苗子を千重子と間違えた西陣の職工秀男が人混みの中で思いを告白をする。

 子供を捨てなければならなかった北山杉と共に生きる人々の苦悩、捨て子を我が子同然に育てる京の町の人の懐の深さ。そして身分違いの恋。

 あらゆる煩悩を受け入れる京都祇園祭がそこにある。

 

 できれば来年も観に行きたい。