(この「鉄血宰相ビスマルクに愛された太平洋」は高岡熊雄著『ドイツ南洋統治史論』を参考にまとめています。)
ビスマルクの植民地政策は、フィジー問題よりもサモア問題、サモア問題よりも郵船航路補助問題と、一歩一歩前進するごとに、より強硬に、より粘り強く、より大胆になった、と高岡博士は分析する。
統一されたドイツの製造工業は年とともに隆盛し、その製品を豪州、アジア諸国にまで輸出する事になった。しかし当時のドイツの航海業は発達しておらず、イギリス所属の船舶便に貿易、郵便、ドイツ人の移動を頼らざるを得ない状況であった。
当時ドイツはアメリカ向けの定期航路が10、東亜向け貨物輸送航路が1、アフリカにスローマン線、西アフリカにウェールマン線があるのみでった。 1884年ビスマルクは皇帝ヴィルヘルム1世の裁可を得て、ドイツと東亜及び豪州間の定期郵船航路を開くための郵船航路補助法案を帝国議会に提出した。
法案はサモア補助法案同様、一度は帝国議会に葬り去られたが、国民からビスマルクに送られた激励後援は多数に昇った。かくして同年10月に行われた総選挙ではドイツ自由党は114人から74人に大きく数を減らし、政府与党に少し有利な状況となった。
途中のビスマルクの交渉の努力は割愛して、結果は1885年4月6日郵船航路補助法案は修正を経て法律として公布された。 5日前の4月1日にはビスマルクの70歳の誕生日と宰相としての勤務20年が国民により祝賀されている。 法律の要点は下記の通り。
1.補助航路 A. 東亜航路、B. 豪州航路、C. 支航路
2.これらの定期航海に対し期限15年、補助金1カ年400万マルク以内を条件に国庫補助金を公布
3.定期航海は少なくとも4週間に1回であること
4.船舶は同一航路にある外国船に比べ、建造及び装備の点において劣らないこと
5.速力は一時間少なくとも11半ノットであること
6.航海に用いる新造船は、ドイツにおいて製造されたものであること
7.船はドイツの郵便物を輸送すること。ただし郵便掛員は無賃とすること
8.定期航路は契約締結後遅くとも12影ヶ月以内に開始すること
9.本規定による航海業が、多額の純益を上げる時は、政府はさらに速度及び航海回数の増加を命ずるか、または補助金の減額をなすこと。
本法律に基づき、北ドイツロイド会社をドイツ政府は指定し、補助金を交付した。
明日から出張のため、このビスマルク連載はしばらくお休みするかもしれません。次回はマーシャル諸島を予定しています。