戦後70周年記念や、天皇皇后両陛下のパラオ訪問が近づいているからであろうか、「自由連合協定」のキーワードでこのブログをたどり着く人が多いようだ。
ばらばらに書いてあるので、ここでおさらいしておきたい。
現在ミクロネシア3国と米国、そしてクック諸島、ニウエがニュージーランドと締結する「自由連合」
これを植民地主義とか帝国主義と誤解している人が多いようだが、戦後国連で確認された脱植民地運動の3つの選択肢の一つ。過去に植民地だったところは下記の3つの選択を示された。
1.どこかの国に統合されるか、
2、独立するか、
3.もしくはどこかの国と自由連合を締結するか。
ちなみに「脱植民地化委員会」はまだ国連の中にあり、太平洋では、グアムやニューカレドニアが議論の対象となっている。
この自由連合を国連に提案したのがニュージーランド。人口数万人の小さな島を独立させるなんて非現実的。でも自決権は持ちたい。妥協案が「自由連合」
自由連合という制度を理解するには第一次世界大戦後の委任統治、第二次世界大戦後の信託統治の歴史的背景をたどる必要もあるが、ここは省きます。
この脱植民地化のはずの、ミクロネシア3国と米国が締結する「自由連合」を新植民地主義、帝国主義と誤解する人の気持ちもわかる。
米国は現在のミクロネシア3国を、冷戦下で独立させるつもりは毛頭なかったのだ。しかし、ソビエトからの圧力、そして何よりもミクロネシア地域からの要望があり、この自由連合を、米国(ミクロネシアではなく)の安全保障を優先させた、即ちニュージーランドが提案し、国連が承認した自由連合のアイデアとはかけ離れたものにしてしまったのである。
加えて「植民」に対する二重の誤解がある。
これはアダム•スミスの『国富論』を読むとわかる。そしてスミスに学んだ新渡戸稲造、矢内原忠雄を読むとわかるのだが、簡単に言うと。。
人類数万年の歴史イコール植民の歴史なのだ。
ところが過去4−5百年の西洋による地球規模の植民地化は、搾取、虐殺、奴隷化、等々あらゆる非道の連続であった。なので「西洋諸国による」という括弧付きの植民地化である事を認識しなければならない。
そして、日本はミクロネシアに、台湾に、朝鮮に、満州に、このスミスが議論した植民地政策を実施しようと試みたのである。
ミクロネシアの人々が日本時代を懐かしむのは、なまじっかお世辞ばかりではないであろう。
日本統治時代は、経済開発、教育、インフラ整備がされたのである。このことを書いた矢内原忠雄氏の『南洋群島の研究』は英文も出ているが、中古が全く見つからない。パラオの人が読みたいというので探したのだ。
これは想像だが、日本の統治があまりにすばらしいかった事を証明する資料であるため米国が燃やしてしまったのではなかろうか。