やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『提携国家の研究ー国連による非植民地化の一つの試み』五十嵐正博著(3)

『提携国家の研究ー国連による非植民地化の一つの試み』3回目。後番外編で終わりにします。

同書7章で提携国家の対外的権能として条約関係の項で国連海洋法を取りあげている。クック諸島の例である。(同書284−290頁)

1975年のカラカスの国連海洋法会議ではクック諸島はオブザーバーとして参加。

1977年にはクック諸島議会は領海及び経済水域法を制定。

1979年のニューヨークの会議でニュージーランドクック諸島、ニウエが条約当事国になることを提案。

そして下記の通り提携国家の国連海洋法条約への署名について、同条約305条1, cと dで規定された。

第17部 最終規定

第305条 署名

1 この条約は、次のものによる署名のために開放しておく。

c.他の国と提携している自治国であって、国際連合総会決議第1514号(第15回会期)に基づいて国際連合により監督され及び承認された自決の行為においてその地位を選び、かつ、この条約により規律される事項に関する権限(これらの事項に関して条約を締結する権限を含む。)を有するすべてのもの

d.他の国と提携している自治国であって、その提携のための文書に基づき、この条約により規律される事項に関する権限(これらの事項に関して条約を締結する権限を含む。)を有するすべてのもの

1982年ジャマイカの会議でクック諸島サー・デイビス首相が国連海洋法条約に署名。

これを五十嵐氏は「クック諸島にとってばかりではなく国際法上の提携国家の歴史にとっても画期的なことであった。」(289頁)と記している。

上記に内容とは全く異なる記述で国連海洋法に関する箇所が記憶に残った。

パラオと米国の自由連合協定協議の課程である。パラオは非核を条件としたため米国との協議が長引き、他のミクロネシア諸国に比べ遅れて独立した。1994年である。米国がウンと言わなかった理由が他にもあった事をこの本で始めて知った。国連海洋法との矛盾である。

群島理論に従った隣接水域に対する主権及び管轄権の主張が国連海洋法条約と矛盾していたのだそうである。そして米国は「その憲法国際法及び交渉された自由連合の概念に矛盾する政府と自由連合に入り得ないと宣言した。」とある。(211頁)

現在パラオ政府が採択したメガ海洋保護区も国連海洋法条約に矛盾しているが米国は何も言っていないどころか、オバマ政権ではピューのアレンジもあり賛同しているのだ。これは一体どういうことだろう?