やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『提携国家の研究ー国連による非植民地化の一つの試み』五十嵐正博著(2)

『提携国家の研究ー国連による非植民地化の一つの試み』には、クック諸島西インド諸島、そしてミクロネシア連邦が、提携国家、即ち自由連合の道を歩む詳細が書かれている。

2度読んで強く印象に残った箇所。

クック諸島の自決権が、クック諸島の人々から出て来たものでなく、1960年の国連決議、即ち1514と1541決議、加えて非植民地化を進める24カ国委員会設置がニュージーランドのGotz議員の心に何等かのパニックを引き起こしクック諸島の完全自立を(独立は非現実的)進める事になった、という記述だ。(54−56頁)

さらにクック諸島から24カ国委員会設置にクック諸島の独立を請願したのは、クック諸島に住む2人のヨーロッパ人であったとある。請願書の一つは当時クック諸島は4人のヨーロッパ人とニュージーランド人の独占果物輸入業会社が絶対的権威を握っている事を批判、即ちヨーロッパ人の間の確執であって、クック諸島の人々は何の不平もなかった、「国内自治のいかなる要求もなかった」(55頁)というのだ。(58−59頁)

西インド諸島に関しては背景を知らず、よくわからないので省略するが、再読した際にまとめたい。

そしてミクロネシアも1960年の国連議決をきっかけに、国連監視団が派遣され外からの自決権の要請が最初であった。(185頁)さらに1962年に、サモアの独立を支援したデビドッソン教授とミクロネシアのリーダー達の出会いが自由連合という道を示した。(190-194頁)

自由連合協定案が作成される複雑な詳細が書かれているのだが当方が興味をもったのが、(多分ミクロネシアに住む)自己推薦のアメリカ人の助言者達の一団に強く影響された、とある箇所だ。(200頁)。即ち米国が出して来た自由連合協定案に強く反発し、より独立に近い方向を目指した動きがあった事が書かれている。

五十嵐氏は最終章で、「当初はむしろ植民国家である母国によって動機づけられたものであり、一方ではその従属地域の母国に対する政治的な独立の要求と、他方では経済的及び社会的な従属との間の妥協の結果あった、」と議論している。

しかし実際は母国の動機とは即ち東西緊張であり、現地のアメリカ人やヨーロッパ人の影響が大きかったのではないか?

そうであればクック諸島ミクロネシアの人々にとってなんための自決権だったのか?

五十嵐氏は「自らのアイデンティティをもち、他のものに従属せず、自らの名において行動したい、という願望は十分理解しうることである。」と続けている。同書では植民とは何かとの議論がないので、もう少し深く検討したい箇所である。例えば日本の八重山諸島、若しくは沖縄は独立、もしくは自由連合になればアイデンティティをもち、従属せず、自らの名において行動する事になるのか?現在はアイデンティティを剥奪さて、従属し(どのように?)、自らの名において行動できていないのか。

次回は海洋問題と提携国家の記述をまとめます。