安倍談話の件はこのブログに書くつもりはなかったが、評論家の江崎道朗氏から「あなたが書かなきゃだめだ。」と言われて書く事にした。
安倍談話の一つのキーワードと言われた「植民地」
これを語るには、新渡戸稲造を、矢内原忠雄を、そしてアダム・スミスを出さなければならないはずなのだ。
ところが、渡辺昭夫教授に伺っても、櫻田淳教授に伺っても回答がない。
ウェッブを探しても、有識者懇談会を検索しても、新渡戸稲造の「に」の字も、矢内原の「や」の字も出て来ない。。
この両名こそが日本の植民政策の創設者なのである。
この二人を語らずに、日本の植民政策は語れないはずなのだ。。
イヤな予感はしていた。
例えば新渡戸稲造の植民論を研究している浅田喬二氏(「新渡戸稲造の植民論」『駒沢大学経済学部研究紀要』46 1988 pp.1-160)は、その文章を読むと妙に偏っているので検索すると、下記のようなコメントをしているのだ。
「現在、 日本に在住する朝鮮人は68万8000人(1990年末)である。 このうちの圧倒的多数は、強制連行された人びとの二世 か三世である」
浅田喬二編『近代日本の奇跡10「帝国」日本とアジア』吉川 弘文館、1994年、28頁
矢内原忠雄研究を進める今泉裕子氏は学生に韓国への合宿旅行をさせ慰安婦研究をさせている。
「ゼミ活動での一番の思い出は何ですか?
最初のゼミ合宿が一番の思い出です。朝から晩まで、目一杯時間をかけて吉見義明『従軍慰安婦』を読み解き、暇さえあれば議論をしていました。1泊2日というタイトなスケジュールの中で行ったためとても大変でしたが、ゼミで勉強する楽しさと奥深さを一度に学ぶことができました。略」
http://www.hosei.ac.jp/kokusai/kyoin/zemi_6.html
もしかして、日本の植民研究者は、伊藤隆先生が言う「東京裁判史観」を持った学者しかいないのではないだろうか?
そんな人しか新渡戸と矢内原を研究していないような予感がしている。
今の所、唯一の救いは矢内原忠雄氏のご子息、矢内原勝氏が書かれた下記の論文である。
「矢内原忠雄の植民政策の理論と実証」(三田学会雑誌,80卷4号、1987年10月)
上記のペーパーは矢内原(新渡戸も)の植民論で一番重要なはずのアダム・スミスの件も触れている。
矢内原自身も勿論スミスの植民論を(賞賛しつつ)議論している。
アダム・スミスは『国富論』で植民論の章を儲け、議論を展開しているのだ。この件は日本の学者だけでなく、欧米の学者もそれほど知られていなさそうなのだ。。
とりとめがなくなってしまった。
私には新渡戸稲造と矢内原忠雄の植民論を展開するほど、まだ両者を知らないし、先行研究も知らない。しかし、現在の世の中で使われる「植民」と新渡戸、矢内原、スミスの「植民」は次元が全く違う世界である事はわかっている。
そして戦後の「脱植民」こそが、ウィルソニアンの「民族自決」こそが(日本がアジアで支援しようとした「民族自決」ではなく)、太平洋島嶼国の小さな国々の存在を理解する基本であるように思えてならない。