太平洋を渡り歩いていると、特に海洋問題をやっていると「捕鯨」の問題は避けて通れない。
それで、わからないなりに時々フォローしている。
下記のニュースが出てTWを少し賑わしているようだが、その内容が大いに疑問なのだ。
2015年10月28日 Yomiuri Online
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20151028-OYT1T50099.html
国際司法裁判所で行われた捕鯨裁判を当方もできる限り見ていた。
素人なりの感覚では、この裁判のハイライトはその道の専門家でない裁判官が「科学」的かそうでないかを判断したところにある、と思っていた。
よって、今回日本政府が、より専門的な国際海洋法裁判所に委ねると言う判断は良識の範囲と受け止めている。
しかし、捕鯨問題専門家の石井敦準教授から「これは裁判所に科学者が参加できるか否かの話ですので、裁判官が科学を判断することの是非の話ではありません。」とのご教示をいただき、自分の無知蒙昧を恥じているところである。
他方、裁判が科学を扱う事の問題点を指摘したペーパーを見つけた。捕鯨専門家の石井敦准教授もご存知なかった、という。
Gogarty, Brendan; Lawrence, Peter --- "The ICJ Whaling Case: science, transparency and the rule of law" [2015] JlLawInfoSci 7; (2014/2015) 23(2) Journal of Law, Information and Science 134
同じタスマニア大学のBrendan Gogarty博士の論文
Japan’s whaling gambit shows it’s time to strengthen the rule of science in law
October 21, 2015
科学がglobal commonsについて裁判所で判断する材料になるのであれば法的なtractionが科学に与えられるべきである、という内容。(ここの部分は筆者の皮肉か本気かはわからない。)
科学と裁判の話は捕鯨に限った話ではなく、気候変動で世界の半分の二酸化炭素を排出している米中印のうち、米中はICJの管轄を適応しないとしているし、豪州自身も東チモールの石油問題(これは科学といより領土問題だと思うが)で2002年にICJの管轄を拒否している、のだそうだ。。
オーストラリアにも捕鯨問題を理論的に語れる人がいるというのは嬉しい発見である。