やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

日本海洋政策学会の第7回年次大会に向けて-マクミランにフルボッコされるウィルソン

日本海洋政策学会の第7回年次大会で発表させていただく内容は、2008年から現場で動かしてきた「ミクロネシア海洋安全保障事業」を中心。

よって、学術的な発表ではなく、実務として行ってきた8年間のまとめである。

しかし、最後に学術的研究の可能性を提案したい、と考えている。

 

今まで見て来た通り、小島嶼国が独立した背景と、自分では管理、権利行使(ほぼ)不可能な広大なEEZを持つに至った関連性である。

 

国際政治の中で小国の研究がされていて、実はやっと書き終わった博論ではその小国論で展開しようと考えたこともある。

小国の誕生のきっかけとなったベルサイユ会議でウィルソンが提案した「民族自決」そしてそれを受けて誕生した「委任統治」という新しい植民の形。加えて戦後の信託統治、自由連合という小国の存在。

 

一番興味深いのはEHCarrの『平和の条件』にある Crisis of Self-Determination だと思うが、マーガレット・マクミランも"Paris 1919"の中で民族自決を提唱したウィルソンをフルボッコしているのである。(MacMillan 2002: page 10-14 )

 

ウィルソンがベルサイユ会議で提唱した「民族自決」 self-determination はその定義に関し、米国側ですら共通認識がなかった、というのだ。というか誰も定義していない。

アイルランドの独立を相談されたウィルソンは「そんなの知るか」といった態度であった。

また肝心のウィルソン自身もこんなに民族自決求めるnationalityが出て来るとは知らなかった、と米国議会で白状している。そしてベルサイユ会議以降次々と誕生した小国の運営に一切責任を持つ様子はなかったようなのだ。

それは、このウィルソンの民族自決の結果ともいえる、ミクロネシアの日本委任統治領に対する米国の反応を見ても一目瞭然である。

こういう歴史的背景を米国人(学者、官僚)にすると目を白黒させるのだ。驚く事に自分たちで作った歴史を彼らは知らない。

 

マクミランは、ウィルソンがお馬鹿だと言うのは簡単だが、当時は誰もが、パリの町までがウィルソンを歓迎し褒め称えたのだ、と締めくくっている。ユートピアニズムの怖さである。

同時にカーの『危機の20年』も読んでおり、この「民族自決」 self-determination が抱える課題の重さは、小島嶼国の管理不可能なEEZに重なって来る。