なぜ、日本軍の柴田中尉がパプアニューギニアに上陸したのか?
なぜ、パプアニューギニアの独立を日本が笹川良一氏が支援する事となったのか?
即ちなぜ笹川良一氏がパプアニューギニア北部のウェワクに慰霊に訪ねたのか?
日本とパプアニューギニア、ソロモン諸島等のメラネシア諸国を結ぶ歴史背景の一つが日独の関係である。
なぜ、日本軍はパプアニューギニアに、ソロモン諸島に進出したのか?
どこかで読んだ記憶があったが、矢内原と新渡戸の事が書いてある三輪公忠著『日本•1945年の視点』を手にしたら、あった。偶然みつけた!(下記、同書の10−12頁を参照してまとめる。)
1940年7月22日に成立した近衛内閣が、26日閣議決定したのが「日本国策要綱」。
翌日27日の大本営政府連絡会議決定の「時局処理要綱」に南洋諸島の、即ち旧独領の「国防上の重大性」を明示している。
「南太平洋上に於ける旧独領及仏領島嶼は国防上の重大性に鑑み為し得れは外交的措置に依り我領有に帰する如く処理す」
三輪氏はその理由を下記の通りに解説する。
旧独領及仏領島嶼とは、パプアニューギニア北部や、ブーゲンビル(現在のソロモン諸島)と仏領のニューカレドニア、仏領ポリネシアである。(バヌアツは英仏共同統治であった)
第二次近衛内閣成立の1月前、1940年6月22日ヒトラーがフランスを占領。占領を逃れたフランス西南地域のビシーに新ナチ政権が成立。南太平洋の仏領はインドネシア同様、理論的にビシー政府が領有する事となった。
1925、26年頃からドイツは旧植民地(日本の委任統治領ミクロネシアも旧独領)の権利を主張しはじめていた。
1935年には日本は国連盟を脱退し、委任統治領であったミクロネシア地域の領有権について議論があった。(これは等松春夫著『日本帝国と委任統治 南洋群島をめぐる国際政治 1914-1947』が詳しい)
そして1940年9月27日に日独伊3国同盟が結ばれるのである。
三輪氏はこの旧独領の件の他に、日本が、近衛内閣が「大東亜共栄圏」を成功させるためにも日独関係強化が必要であった、と論じる。
「大東亜共栄圏」の成否は、まず第一に、ドイツの合意が得る事ができるかどうかにかかっていた。
(同書 12頁)
日独関係と大東亜共栄圏構想が、1944年に柴田幸雄中尉がウェワク上陸し、結果的に独立を支援した背景なのではなかろうか。