やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

矢内原忠雄を読む『軍事的と同化的・日仏植民地政策比較の一論』

太平洋の島々は比較的平和に独立運動が進められたが、バヌアツは闘争の末、死者を出す結果となった。

その背景にいたのが、フランスである。

英国はサモア、フィジーパプアニューギニア等々旧英領が独立する中で、バヌアツの独立も70年代から支援してきた。しかし世界で唯一の英仏共同統治だったバヌアツ(ニューへブリデス)の独立は容易でなく、特に同地に土地を所有しビジネス(コプラ、牧畜等)を行う、フランス人の反対は容易に想像できた。

またフランスは、バヌアツの独立が近隣の仏領、ニューカレドニアタヒチ等に及ぼす影響も懸念。バヌアツの独立を留めようとする理由であった。

このフランス植民地政策について矢内原が論文を書いている。自分にとって優先度は低かったが、バヌアツのサイクロン情報をフォローする中で、急に気になり、一気に読んだ。

矢内原忠雄全集第四巻に『軍事的と同化的・日仏植民地政策比較の一論』がおさめられている。

フランスは英国の次ぐ広大な植民地を有していた。

「植民地分割競争の熾烈にしてキロメートル病の病熱に浮かされていた帝国主義初期時代の事であるとはいえ、経済的価値の有無を問題とせずしてただ広大なる領土を、而して地理的接続の領土を征服領有したところに、植民地獲得政策におけるフランスの特色が見られるのであろう。」

と矢内原は説明している。

加えてフランス植民地の特色として同化政策と軍事政策をあげている。

軍事政策は、フランスの植民地が人の植民にあるのでもなく、かと言って生産性の高い統治でもなかった事を指摘。では何をしていたか?国際連盟規約を無視した原住民の軍事化を進めていた。第一次世界大戦時には80万人の植民地原住者部隊がフランス本国に輸送されている。

同化政策は啓蒙哲学とフランス革命思想に根拠し、人間としての自然権保有する植民地原住者はフランス人と等しく、フランス人に化し得べき人間としてみる。これによって同化政策が進められた。

このフランスの同化政策と軍事政策は日本に共通すると矢内原は議論を展開させる。

しかし、日本の軍事政策は原住民を軍事化する事ではなく本国の軍事強化であり、日本の同化政策にはフランスのような哲学がない事を指摘。

この論文は昭和12年2月、1937年矢内原が東大を追われた年に書かれている。

戦後の昭和23年(1948年)東大に復帰した矢内原が「帝国主義研究」といタイトルで編纂した論文集に納められている。

この論文集のはしがきには

「全て道を失うた者は、分岐点まで引き返し、そこにて正しき道を見いださねばならない。日本が正しき道によりて高きに至るためには、日華事変以前、満州事変以前、否、二・二六事件以前に目をかへして、そこに正道と邪路の分岐点を見出さねばならない。」

とある。

バヌアツの話に戻ろう。

サイクロン被害支援は、ある意味で日本の植民政策の延長である。繰り返すが「植民」とは西欧諸国による、現地住民の搾取、奴隷化、差別の歴史だけではなく広く社会現象を表すものである。

東大においては、戦前、新渡戸稲造、矢内原が教授した「植民政策」の講義が、戦後「国際経済論」として引き継がれている。

その観点から、バヌアツの歴史、文化、伝統文化、民族、独立の過程、英仏旧宗主国のバヌアツでの動き、そして現在の宗主国である豪州の動き、さらにはメラネシアグループの動きや、バヌアツ独特の金融経済(タックスヘブン)、西パプア独立支援運動などなど、日本は多くを研究せねばならない。

あまり書きたくなかったが現在書いている当方の博士論文はバヌアツをケーススタディに選び、まさにバヌアツの章を書いている最中のサイクロンであった。