やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

島サミット特集:サモアの苦難

第8回島サミットを控えて、安倍総理と共同議長を務めるサモアのトゥイラエパ首相が、今日から来日のはずだ。天皇皇后両陛下も御引見になる、とのこと。

ウェッブを見てもサモアのサの字も見つからないので、少し書いてみたいと思う。

 

トゥイラエパ・サモア独立国首相兼外務貿易大臣の訪日

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005941.html

 

太平洋島嶼の中で、1962年最初に独立したのがサモアである。なぜ最初だったのか?

ドイツ、ニュージーランド領となった歴史の中で、サモアの人々は強力な伝統的首長の存在を得て植民地支配に戦ってきた歴史があるのだ。

 

その運動を支援してきたのが『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』の作者、ロバート・ルイス・スティーヴンソンである。スティーヴンソンは1890年にサモアに渡り、1894年その地で亡くなる。彼と彼の家族が住んだ家はVailimaの家はまだ保存され観光客に公開されている。

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以下、ニュージーランド政府のサイトからサモアの歴史を。

 Page 4. Samoa

https://teara.govt.nz/en/pacific-islands-and-new-zealand/page-4

1889年英国はドイツ、米国と共同でサモアを管理することに同意。10年後の1899年にはドイツが多くの土地を領有することとなった。米国は現在の米領サモアを領有した。英国はサモアを諦める代わりにトンガ、ソロモン諸島、ニウエ、そしてアフリカのザンジバルなどを領有することとなった。

1914年の第一次世界大戦で、ニュージーランドがサモアを領有。ベルサイユ条約でニュージーランドの委任統治領となったのである。ここからがサモアの悲劇の始まりだ。

まずはニュージーランド人が持ち込んだインフルエンザで、人口の5分の一が亡くなる。しかも当時のニュージーランド統治者はまともな治療を拒否。

さらに、ニュージーランド統治に反発したサモア人の平和的にデモに銃を向け9人が殺されたのである。ブラックサタデー、という。

 

2011年、49回の独立記念日を迎えたサモアの独立の道描いた、7分のビデオは見ごたえがある。

 

新渡戸や、矢内原がこのニュージーランドのサモアでの悲劇を論文にも書いている。ニュージーランドは日本のミクロネシア統治から多くを学んだ。日本の統治は、教育と医療を改善し、島の人口はヤップを抜かして増えているのだ。