やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

大阪市立大学佐藤全弘名誉教授「矢内原忠雄は私たちに今何をのぞむか」

矢内原忠雄研究をされている立命館大学金丸裕一教授から、矢内原の事を色々ご教示いただく機会を得た。

金丸教授から送っていただいたのが「矢内原忠雄は私たちに今何をのぞむか」という大阪市立大学佐藤全弘名誉教授の講演記録である。(郷土の偉人 矢内原忠雄顕彰講演会記録)

矢内原の生涯を、わかりやすく説明している。

特に矢内原の再婚に関する箇所は、矢内原の精神的弱さと、長男伊作氏との「歪んだ」関係を理解できた。

矢内原の死後恵子夫人が書き記したという次の箇所は後で確認してみたい。

「矢内原は自分が上辺は信仰者らしくかざりつつ、内面は偽りに満ち多くの罪を犯して人を欺いてきたと痛切な告白をつづけ、涙を流して罪を悔いました。」(同講演記録26頁)

は再婚以外にどんな罪を認識していたのであろうか?

ここ2年ほどだが、新渡戸と矢内原を読み比べていると、やはり新渡戸の方が人間的に大きい、という感想を持つ。

それは矢内原が「象牙の塔」に地位を得たのに比べ、新渡戸は台湾植民地運営から、国際連盟運営、そして死の間際は満州事変に対する海外、特に米国での日本擁護活動と国内へ向けた批判、という学問だけでなく、現場、実務の人、即ち「偽りに満ち多くの罪を犯して人を欺いてきた」とは全く反対の行動をとってきたからだと思う。

金丸教授によると、矢内原は戦後その学術論文の数が激減している、という。

加えて矢内原の植民政策研究は、戦後矢内原自身が言う様に、同氏の意向とは違ってキリスト教に結びつけて議論される事が多いようである。

矢内原は植民を、アダム•スミス、新渡戸稲造に倣って支持していたのである。

新渡戸稲造研究者であるという佐藤全弘氏の講演にはこの部分は全く出て来ず、逆に現在の政治批判に矢内原を利用して終えているのだ。

日本の、新渡戸の、そして矢内原の植民政策はどこで道を間違ったのか、もしくは逸らされたのか?これを議論しないと日本は、何も学べないのではなかろうか?