やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『世界認識』後藤新平歿八十周年記念事業実行委員会編 藤原書店、2010年

広大な後藤新平の世界を、「植民」というテーマを絞って見ていきたいと思う。

当方の関心の発端は矢内原忠雄の南洋統治論、即ち植民研究であり、これを指導した新渡戸稲造の植民論だからだ。

当然、新渡戸稲造は後藤新平の植民政策に影響を受けているハズである。

 

『世界認識』(後藤新平歿八十周年記念事業実行委員会編 藤原書店、2010年)を手に取った。

後藤新平の植民論はいくつか本人の著作があるようである。

同書に渡辺利夫氏の「後藤新平の殖民地経営哲学ー生物学的殖民地論と文装的武備論」がある。

 

「後藤の台湾経営の哲学は「生物学的殖民地論」として知られる。個々の生物の育成にはそれぞれ固有の生物的条件が必要であるから、一国の生物をそのまま他国に移植しようとしてもうまくいかない。」(同書 46頁)

 

医学を学んだ後藤は生物学を植民論に応用していたのである。しかも人々によくわかる様に上記の理論をヒラメの目と鯛の目に置き換えて説明したらしい。

 

後藤新平は「大アジア主義」も説いていた。これに関して伊藤博文から批判を受けるが、結局は説き伏せ、伊藤のハルビン訪問となる。

 

「このように私の大アジア主義について語を進めると、伊藤公はたちまちこれをさえぎって言う。君、しばらく言うを休めよ、いわゆる大アジア主義とはそもそも何であるか。およそこの種の論法を口にするものは、深く国際間の虚実を察せず、ややもすれば軽率な立言を為すがゆえに、たちまち西洋人に誤解され、彼等に横禍論を叫ばせるようになると。」(同書「厳島夜話」101−102頁)

 

今回のパラオ訪問では、このパラオも台湾も後藤新平の新渡戸稲造の遺産である、との思いで過ごした。後藤が新渡戸が、そして伊藤公が、私が推進してきた海洋安全保障の支援案を見たらどう思うであろうか?

伊藤公は、米豪との調整をよくやった、と褒めてくれそうな気がする。

後藤新平は、パラオの文化歴史を取り入れつつ、もっと規模を拡大せよ、と言いそうな気がする。