もう2年前になるが日本財団の鳥井参与から、後藤新平の本が御厨教授が中心となって藤原書房から出ている事を教えていただいた。
新渡戸稲造を台湾に誘ったのが後藤である。
名前は知っていたが、矢内原、新渡戸を知るだけでも自分の残りの人生では足りないと認識していたので手をだす気力はなかった。
「寝ても覚めても後藤新平」
一つ目の博論の「てにをは」の修正で謀殺され忘れていたが、先般チャタムハウス創設者にしてコモンウェルス、委託統治の発案者であるライオネル・カーティスを知って後藤新平を思い出した。全くの勘なのだが、カーティスのアイデアは後藤や新渡戸から来ているのではないか?
ここ数日大正3年(1914年)に後藤が講演した内容をまとめた「日本植民政策一斑」を読んでいる。
文字が旧式でわからないのと、台湾、満州の地名や時代背景、人名等々基本的な事を知らないので半分も理解できない。それでも植民政策という視点から、非常に面白い内容であった。
誰か研究していないか、と先行研究探してみたが下記の春山明哲氏の1枚紙のエッセイしか見当たらない。探し方が悪いのであろう。
伊藤博文との激論をまとめた『厳島夜話』も読み始めたが、これも面白い。後藤新平の植民政策の全体を知ってから書ければよいが、ここに書く事で自分の理解が深まり、時に新たな情報やご意見、修正などをいただける事もあるので、「後藤新平の植民政策」としてメモして行きたい。
春山明哲、「「大アジア主義者」としての後藤新平」p. 222-223。『「アジア」を考える 2000-2005』 藤原書店編集部編、2015。
とこでこの本の中に、先日亡くなられて岡田英弘氏のエッセイもあって、これも面白かった。「アジアとヨーロッパ」(上記の本のp. 18-19) ヨーロッパの語源、初めて知った。
「幅の広い目をした女神」
ギリシア語でエウローペーが幅の広い、オープスが眼。
アジアはアシオスという川から。
後藤の議論にも出て来るアジアとヨーロッパの対立は約2,500年前にヘーロドトスが唱えた事であったそうで、延々と今に続いているのだそうだ。