福田は皇太子ご成婚の時に書いた「象徴を論ず」を下敷きに、平成元年「象徴天皇の宿命」を「文藝春秋特別号 大いなる昭和」(3月号)に寄稿している。
こちらは昭和34年に書かれた前作に比べ、悲痛の叫びが聞こえる。
それは私が先般行われた天皇のビデオメッセージから感じた事である。
ただ、あのお言葉に共感する国民が大多数であっても、天皇陛下が「象徴」と語る度に、ズキッ、ズキッ、と心に刺さる痛みは誰も共有できないでいた。だから福田恆存に出会えた事は幸運であった。
「象徴天皇の宿命」は、福田の眠れない一夜の話から始まる。
睡眠薬とブランデーを飲んで寝たが目が覚めてしまい、明け方のニュースで昭和天皇の崩御を知る。これは単に福田が不眠症という話ではなく、昭和天皇の崩御を全身全霊で感じていた事を暗に記しているのだろう。
そして、昭和天皇との園遊会での会話の話に写る。福田の昭和天皇の思い出だ。
昭和天皇が福田に話を振るのに、福田は否定するような回答ばかりした事を反省しているような文章だ。
そして「象徴」批判になる。
「象徴とは何を意味するのか。不敏にして生者が「象徴」に使われた例を知らない。」(『福田恆存評論集 第八巻』(麗沢大学、2007年)208頁)そして象徴となった天皇は「身動きの出来ぬ非人間的な存在にならざるを得ないであろう。天皇はそういう過酷な宿命を身に背負いながら、しかもなお周囲のあらゆる紐帯を断ち切られているのだ。」(209頁、繰り返すが福田の文章は旧仮名遣いだが、変換ができなので現代仮名遣いで引用します。)
当方が、先般の天皇陛下のお言葉を聞いて、特に「象徴」という言葉を発せられた度ごとにズキッ、ズキッ、と心に刺さる痛みはこれである。
天皇が人間宣言をしても「国民感情のうちでは天皇は依然として神である。」と福田は言う。そしてその「神」という概念を「尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり」と著した本居宣長を引用し、「日本人は人間が神になることを少しもおかしいとは思っていないのだ。」(209頁)と説明する。
そして、福田の改憲論は次回まとめるが、憲法が政治のためであるから天皇の政治的位置を書くべきで、「元首」の方がよい、と主張する。「元首」より「象徴」の方が民主的で無害であると「皮肉な笑いを浮かべてすませようとしている「革新派」の自己欺瞞は愚かしいばかりでなく、そういう彼等こそ「非民主的」だといいたい。」と厳しい。でも私は溜飲が下がる思いでこの箇所を読んだ。
そして再び、昭和57年に福田が東宮御所に招かれ現今上天皇と1時間の鼎談をした事が紹介される。退出しようとした、最後の場面に「劇作家、演出家」の福田を感じる。下記引用する。
「退出しようとした私たちは、庭の木々にまじって数本の白樺が程よく並んでいるのに目をやった。皇太子は私たちの視線を受けて「私はここからの庭の眺めが好きなのです」と言われた。」(216頁)
そして福田は皇太子の孤独、苦渋の道を余人の伺い知り得ぬ事としながらも、「今上を孤独のままに終わらせるのは、皇室のためにも日本のためにも取り返しのつかぬ事となろう。」と結んでいる。
先の陛下のお言葉は、取り返しのつかぬ状況になっていることを「象徴」ではなく、陛下「個人」の立場で語られたのはないだろうか?新渡戸を読んで「象徴」の背景を理解している当方にとって、それは悲痛な叫び、にしか聞こえなかったのだ。
GHQが参考にしかもしれない、新渡戸の言説を下記に、再度引用する。「象徴」という言葉は新渡戸が日本文化を知らない西洋人にわかるように使用した、に過ぎない。
「してみるとコクタイは、最も単純な言葉に戻してみると、この国を従え、我国の歴史の始めからそれを統合してきた”家系”の長による、最高の社会的権威と政治権力の保持を意味する。この家系は国民全体を包括すると考えられる ー というのは、初代の統治者はそお親類縁者を伴って来たし、現在人口の大部分を形成しているのは、それらの人々の子孫だからである。狭義においては、その”家系”は統治者のより直系の親族を含む。こうして天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である。こうして人々を統治と服従において統一している絆の真の性質は、第一には、神話的血縁関係であり、第二には道徳的紐帯であり、第三には法的義務である。」(『日本ーその問題と発展の諸局面』183-184頁,新渡戸稲造全集第18巻、2001年、教文館)